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エレキギター

Pbx Funicular Intaglio ZoneJohn FruscianteのEP "Letur-Lefr"と11thアルバム"PBX Funicular Intaglio Zone"を聴いている。

前作"The Empyrean"も良かったけれど、本作も良かった。でも、その良さはずいぶんと違う。本作で前面に出ているのは、ギター・サウンドではなくてエレクトニック・サウンド。

特に"Letur-Lefr"でそのエレクトロの色が濃い。人の声も、Johnのヴォーカルより客演のラップの方が目立つくらい。一方で、"PBX Funicular Intaglio Zone"で客演のラップがあるのは、1曲だけ。トラックの上で、ギターとボーカルが絡み合う展開の方が印象的。

ギターが目立たない曲でも、よく聴くとトラックの向こうからギターが聴こえてきて面白い。

以下、耳障りのよくない余談。
“Walls And Doors”は最初はアルバムに入れると思っていたけど、入れない方がアルバムにとってよかった。
Columns:ジョン・フルシアンテ、問題作『レター・レファー』『PBXファニキュラー・インタグリオ・ゾーン』への思い - ――ブログ全文訳掲載! 5年越し「プログレッシヴ・シンセ・ポップ」の構想を語る | John Frusciante | ele-king
I always took it for granted that Walls and Doors would be part of the record, but as it turned out the record was better off without it.
Letur Lefr and PBX | John Frusciante
と本人がブログで語り、Walls and Doors | John Fruscianteでフリー・ダウンロードにしている"Walls and Doors"が、日本盤ではボーナストラックとして収録されているのは、一体どういう了見なんだろう。

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