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ウォール・ストリートの壁

『ウォール街 (原題: Wall Street)』を見た。
2ヶ月ほど前に観た『ウォール・ストリート』(感想) は、本作の続編にあたる。

いかんせん、時代が古い。
アメリカで公開されたのが、1987年。
慌ただしく電話をかけて株を売り買いしたりしている。
何だか牧歌的にさえ見える。

でも、確かに、安いメロドラマがなくて、物語としては好み。
やはり、特にゲッコー。
続編を先に観たのでどうなるか分かっていたけれど、それを差し引いても印象的。
主人公バドを食ってしまっている。

だからと言って、証券会社に入りたいとは思わない。
統計を囓って、ナシーム・ニコラス・タレブの『まぐれ』(感想)や『ブラック・スワン』([上]感想[下]感想)を読んで、株価は予測できないと思うようになった。

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