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弱さわさわさ

『思想地図β vol.2』を読んだ。

津田大介氏のルポルタージュ『ソーシャルメディアは東北を再生可能か』の読み応えが抜群。
特に避難所側の問題についての言及は、自分に欠けていた視点だったので、何度も読み返した。

それから、この種の問題があまりマスメディアで報じられない理由が『「弱者は善良である」という前提』にあるという指摘は、その通りだと思う。
この前提を覆すと、酷い目に遭う。
ヒルバーグは、(1)ユダヤ人の絶滅は「国策」であり、ドイツ全体が国を挙げて荷担した事業である、(2)ドイツ人が行政面で通達に従順にしたがうユダヤ人に頼り、ユダヤ人は自らの絶滅の共謀者になった、という2つの重大な指摘を行い、特に後者の結論を譲らなかったことで論争を招く。
ラウル・ヒルバーグ - Wikipedia
「論争を招く」と書かれているけれど、自伝『記憶―ホロコーストの真実を求めて』では、そんな生易しいものではなかったように書かれいてた記憶がある。
10年以上も前に読んだ本なので、当てにならないかもしれないけれど。

それはさておき、この前提は、そうとう根深くて、日常レベルでも染みついているとと思う。
例えば、慣用句「強きを挫き弱きを助く」に違和感を感じないのは、この前提が内面化してしまっているからじゃないだろうか。

ただ、一度疑問に思って考え直してみると、全然前提じゃない。
弱いけれど助けて貰える仕組みがあるのは、助けて貰えない弱者がそういう仕組みを勝ち取ったからであって、むしろその前は迫害されていることがある。
そう言えば、先日観た映画『ミルク』(感想)では、ゲイというマイノリティ(= 選挙における弱者) の権利回復のために戦ったハーヴィー・ミルクが描かれていた。

自分で道をつける人とその周りでその人を後押しする人を見ると、〈物語〉シリーズの忍野メメのモットー「自分は助けない、相手が自分で勝手に助かるだけ」を思い出す。
スタート地点によって、手助けとか後押しとか支援とか援助とか呼ばれる類が必要かも知れないけれど、少なくとも最後はそうだよな、と思う。
そうでなければ、助かったとは言えないと思う。助けられた側はそう思うことがあるかもしれないけれど、少なくとも、助ける側はいつまでも助け続けられはしない。

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