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Extreme Value Theory

ブラック・スワン[下]を読んだ。
ブラック・スワン[上]は読んでいない。

図書館で両方同時に予約したら、先に[下]が確保されたからだ。
上巻を読んで面白かったら下巻を借りようと思い、上巻だけを予約する人はいても、その逆はいないからだろう。

[上]を待ってから[下]を借り直すのも面倒だったので、読んでしまったけれど、同著者の『まぐれ―投資家はなぜ、運を実力と勘違いするのか』を読んでいたせいか、すんなりと入っていけた。

本書では正規分布がこき下ろされている。
それどころか、対数正規分布さえ、「とてもひどい妥協の産物」と切って捨てる。

なぜなら、それらでは黒い白鳥(ブラック・スワン)を正しく扱えず、問題の多くには黒い白鳥が潜んでいるからだ。

統計を囓っている者としては、耳が痛い。

自分の浅薄な考えでは、極値統計学が比較的この手の問題に正直に取り組んでいると思うのだけれど、いかんせん日本語の文献が少ない(というか書籍では絶版本しか知らない。今Amazon.comのマーケットプレイスで\28000)。

洋書を読もうかな……。
(結論が昨日のエントリ『Mirror House Annex: ヴェランシア第三惑星』と同じだ!!)

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