スキップしてメイン コンテンツに移動

差が付く錯覚 - 錯覚の科学

『錯覚の科学』を読んだ。
本書のテーマは、日常的に現われる次の6つの錯覚。
これらの錯覚について、主に実験結果を引き合いに出しながら、その仕組や影響について解説している。
()内は、自分なりの理解。
  1. 注意の錯覚(注意は選択的。目の前にあっても、見えると思っていなければしばしば見落とす)
  2. 記憶の錯覚(鮮明に思い出せる記憶が正しいとは限らない。下手をしたらディティールは捏造したもの)
  3. 自信の錯覚(みんな自分の実力は中央値以上だと思っている。もちろん中央値の定義から考えてあり得ない)
  4. 知識の錯覚(見慣れたもの、使い慣れているものは、深く理解していると誤解する)
  5. 原因の錯覚(相関でも偶然でも、前後関係があれば因果関係を引き出してしまう)
  6. 可能性の錯覚 (自分はやればできる。きっかけがないだけ)
ただ「おわりに」では、錯覚は直感の利点の裏返しであることと、直感の方が役に立つ問題もあることを述べている。
印象的だったのは、ジャムの評価に関する実験についての次の記述。
なぜジャムについて考えすぎると、評価に誤りが出るのだろう。理由は二つある。まず、ジャムのことを考えても、ジャムの味に関する情報が増えるわけではない――味のよしあしについては味見が情報のすべてなのだ。そしてそれ以上に重要と思われる第ニの理由は、味の好みがおもに感覚的な反応で有り論理的分析にもとづくもではないためだ。
第一の理由は、小説『花物語』(感想)で「悪魔様」が同じ事を言っている。
「まあ『考える』という行為は、実際には『思い出している』だけだからね。どうしようもなく思える悩み事を考え続けたらいつかは解決に辿り着くなんてのは幻想だよ」
第ニの理由も、面白い。悩んだら、「それは本当に論理的に考えるべき問題か?」と問い直すのは、問題の解消に有効そう。

このブログの人気の投稿

北へ - ゴールデンカムイ 16

『ゴールデンカムイ 15』、『〃 16』を読んだ。16巻を読み始めてから、15巻を買ったものの読んでいなかったことに気がつく。Kindle版の予約注文ではままあること。 15巻は「スチェンカ・ナ・スチェンク」、「バーニャ(ロシア式蒸し風呂)」と男臭いことこのうえなし。軽くWebで調べてみたところ、スチェンカ・ナ・スチェンク (Стенка на стенку) はロシアの祭事マースレニツァで行われる行事のようだ[1]。それなりになじみ深いものらしく、この行事をタイトルに据えたフォークメタルStenka Na StenkuのMVが見つかった。 16巻では杉元一行は巡業中のサーカスに参加することになる。杉元と鯉登の維持の張り合いが、見ていて微笑ましい。鯉登は目的を見失っているようだが、杉元もスチェンカで我を失っていたので、どっこいどっこいか。なお、サーカス/大道芸を通じた日露のつながりは、実際にもこのような形だったようだ[2]。 個々のエピソードから視線を上げて、全体の構図を眺めてみると、各勢力がすっかり入り乱れている。アシㇼパは尾形、キロランケ、白石とともにアチャの足跡を辿り、そのあとを鶴見のもとで家永の治療を受けた杉元が鯉登、月島を追っている。今更だけれど、杉元やアシㇼパは、第七師団と完全に利害が衝突していると考えていないはずだった。一方で、土方一味も入墨人皮を継続。むしろ彼らの方が第七師団との対立が深刻だろう。さらに北上するキロランケはまた別の目的で動いているようだけれど、なんで尾形も一緒なんだっけ? 『進撃の巨人』に引き続き、これもそろそろ読み返す時期か。 [1] 5つの暴力的な伝統:スラヴ戦士のようにマースレニツァを祝おう - ロシア・ビヨンド [2] ボリショイサーカスの源流は、ロシアに渡った幕末日本の大道芸人たちにあった 脈々と息づく「クールジャパン」 | ハフポスト

戦う泡沫 - 終末なにしてますか? もう一度だけ、会えますか? #06, #07

『終末なにしてますか? もう一度だけ、会えますか?』の#06, #07を読んだ。 『終末なにしてますか? もう一度だけ、会えますか?』の#06と#07を読んだ。#06でフェオドールの物語がひとまずは決着して、#07から第二部開始といったところ。 これまでの彼の戦いが通過点のように見えてしまったのがちょっと悲しい。もしも#07がシリーズ3作目の#01になっていたら、もう少し違って見えたかもしれない。物語の外にある枠組みが与える影響は、決して小さくない。 一方で純粋に物語に抱く感情なんてあるんだろうか? とも思う。浮かび上がる感情には周辺情報が引き起こす雑念が内包されていて、やがて損なわれてしまうことになっているのかもしれない。黄金妖精 (レプラカーン) の人格が前世のそれに侵食されていくように。

リアル・シリアル・ソシアル - アイム・ノット・シリアルキラー

『アイム・ノット・シリアルキラー』(原題 "I Am Not a Serial Killer")を見た。 いい意味で期待を裏切ってくれて、悪くなかった。最初はちょっと反応に困るったけれど、それも含めて嫌いじゃない。傑作・良作の類いではないだろうけれど、主人公ジョンに味がある。 この期待の裏切り方に腹を立てる人もいるだろう。でも、万人受けするつもりがない作品が出てくるのって、豊かでいいよね(受け付けないときは本当に受け付けないけれど)。何が出てくるかわからない楽しみがある。