『12人の怒れる男 (原題: 12)』を観た。
本作は、1950年代にアメリカで制作されたテレビドラマおよび映画を、ロシアの監督が2007年にさらにリメイクしたもの。
タイトルの12人の男とは、陪審員のこと。
最初は有罪が11票、無罪が1票とほぼ有罪一色だったのが、討論・実験を経て、人が意見を変えていく様は、とてもスリリング。
最後の最後にようやく意見を変えた陪審員が、エンディングまで含めてとても印象的だった。
ところで、日本では、2009年から陪審員ではなく、裁判員制度が始まった。
一般の人が裁判に参加する点では、陪審員とよく似ている。
『裁判員の教科書』(感想)で読んだ記憶だと、異なる点は、罪の重さまで決めるかどうかだったはず。
本作でもそうだったように、陪審員は有罪または無罪だけを決める。
一方、裁判員はさらに有罪とした場合、その罪の重さまで決める。
本作のように、有罪か無罪か結論を出すために、証拠はきちんと吟味されているんだろうか。
有罪が前提で、罪の重さの議論に終始しがちになっていないだろうか。
本作は、1950年代にアメリカで制作されたテレビドラマおよび映画を、ロシアの監督が2007年にさらにリメイクしたもの。
タイトルの12人の男とは、陪審員のこと。
最初は有罪が11票、無罪が1票とほぼ有罪一色だったのが、討論・実験を経て、人が意見を変えていく様は、とてもスリリング。
最後の最後にようやく意見を変えた陪審員が、エンディングまで含めてとても印象的だった。
ところで、日本では、2009年から陪審員ではなく、裁判員制度が始まった。
一般の人が裁判に参加する点では、陪審員とよく似ている。
『裁判員の教科書』(感想)で読んだ記憶だと、異なる点は、罪の重さまで決めるかどうかだったはず。
本作でもそうだったように、陪審員は有罪または無罪だけを決める。
一方、裁判員はさらに有罪とした場合、その罪の重さまで決める。
本作のように、有罪か無罪か結論を出すために、証拠はきちんと吟味されているんだろうか。
有罪が前提で、罪の重さの議論に終始しがちになっていないだろうか。