『花物語』を読んだ。
本書は、『傾物語』(感想)に続く、〈物語〉シリーズ第6作(通算9冊目)。
『傾物語』に収録されていた『まよいキョンシー』は、八九寺真宵を巡る物語ではあったけれど、彼女自身の物語ではなかった。
対照的に、本書に収録されている『するがデビル』は、神原駿河の物語だった。
と、同時に駿河が対峙する「悪魔様」の物語でもあった。
その「悪魔様」はこんなことを言う。
アインシュタインの名言とされる次の言葉を思い出す。
そういう人は、解決に辿り着くなんてのは期待していないかというとそうではないだろう。
一方で、解決自体は望んでいない。解決への期待をキープすることは、悩むために必要だけれど、解決自体は悩みを解消してしまうからだ。
ところで、先日読んだ、『はじめて考えるときのように』(感想)が説明する「考える」は「悪魔様」のそれとは違う。
自分の理解では、「考える」とは「思い出せる」状態をキープして、悩み事を解決に近づける何かに「気がつける」ようにしておくことだ。
色んな「考える」があるなあ、と思う。
正しい「考える」を決めたいとは思っていない。
ただ、本当に解決したいのなら、悩みを思い出すだけだったり、同じ事を繰り返すだけでは、駄目なのはその通りだと思う。
本当は何を悩んでいるのか問い直したり、違う事を試したり、試行錯誤が必要だと思う。
本書は、『傾物語』(感想)に続く、〈物語〉シリーズ第6作(通算9冊目)。
『傾物語』に収録されていた『まよいキョンシー』は、八九寺真宵を巡る物語ではあったけれど、彼女自身の物語ではなかった。
対照的に、本書に収録されている『するがデビル』は、神原駿河の物語だった。
と、同時に駿河が対峙する「悪魔様」の物語でもあった。
その「悪魔様」はこんなことを言う。
「まあ『考える』という行為は、実際には『思い出している』だけだからね。どうしようもなく思える悩み事を考え続けたらいつかは解決に辿り着くなんてのは幻想だよ」確かに、同じ悩み事を何度「思い出し」たって、急に解決したりしないだろう。
アインシュタインの名言とされる次の言葉を思い出す。
「狂気とは、同じ事を繰り返し行い、違う結果を予期することだ」でも、そうやって悩み事を考え続けていること事態にアイディンティティを覚えているように見える人もいる。
そういう人は、解決に辿り着くなんてのは期待していないかというとそうではないだろう。
一方で、解決自体は望んでいない。解決への期待をキープすることは、悩むために必要だけれど、解決自体は悩みを解消してしまうからだ。
ところで、先日読んだ、『はじめて考えるときのように』(感想)が説明する「考える」は「悪魔様」のそれとは違う。
自分の理解では、「考える」とは「思い出せる」状態をキープして、悩み事を解決に近づける何かに「気がつける」ようにしておくことだ。
色んな「考える」があるなあ、と思う。
正しい「考える」を決めたいとは思っていない。
ただ、本当に解決したいのなら、悩みを思い出すだけだったり、同じ事を繰り返すだけでは、駄目なのはその通りだと思う。
本当は何を悩んでいるのか問い直したり、違う事を試したり、試行錯誤が必要だと思う。