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誰のことでもない

『後藤さんのこと』を読んだ。
円城塔の作品は、昨年7月に『Boy’s Surface』(感想)を読んで以来だから、約1年ぶり。

本作品は、次の6篇からなる短編集。
のっけの表題作『後藤さんのこと』から飛ばしてくれる。
4色カラーの小説なんて、しかも色に意味がある小説なんて初めて読んだ。いや、これ「読んだ」って言っていいのか。
どことなく、『ゴーレム 100(感想)を思い出す。あちらに出てきた図は説明を拒んでいる印象だったけれど。
  • 『後藤さんのこと』
  • 『さかしま』
  • 『考速』
  • 『The History of the Decline and Fall of the Galactic Empire』
  • 『ガベージコレクション』
  • 『墓標天球』
それはさておき、『ガベージコレクション』に関連して「可逆計算」について少し書く。
基本的には『ポスト・ヒューマン誕生』を読んだときのメモに基づいているけれど、他で読んだ内容も混ざっているかもしれない。
というわけで、専門家ではない人間が、あちこちから読みかじったことをまとめているだけなので、不正確だったり誤っていたりすると思うけれど、整理のためのに書いておく。

可逆計算の最大の可能性は、エネルギー効率。
作中でも書かれている通り、計算でエネルギーを失う(エントロピーが増える)のは、情報の消去のような不可逆な操作を行ったとき。
これは、ランダウアーの原理として知られている。
逆に言えば、計算過程(ゴミデータ)を全部記憶して可逆計算だけを行っている限り、エネルギーは必要ない。
もちろん、そんなことは記憶容量が無限にない限り無理だ。
そこで、可逆演算で出力を得たあと、逆演算で初期状態に戻すことを考える。
こうすることで、ほとんどエネルギーを失わずに出力が得られる。

この小説では、下記のような記述この可能性は否定されている。
何を捨て去るべきゴミデータとみなすかという弁別を行うだけで、エントロピーは増大する。そしてまた、ゴミデータは必要な結果に対して、猛烈な速度で増大する。真実を内包するだけで、結果を取り出すことのできない計算などは、何のために行うのかが分からない。
でもこれは小説なので、実際の研究ではどうなっているんだろうか。

少し調べてみたら、日系サイエンス8月号のマクスウェルの悪魔現るというタイトルの記事が見つかった。
けれど、計算への応用については書かれていない様子(自由に読める英語版のPDFで"Compute"などの単語で検索しただけなので、信憑性は低い)。
ちなみに、ランダウアーの原理は、マクスウェルの悪魔が熱力学の第二法則を破っているように見える問題を解決するのに一役買っている。端的にいうと、情報を考慮に入れると、エントロピーは保存されている。
日系サイエンスの記事はそれを実験で再現できたという内容か。

これが実現できて、ほとんどエネルギーを使わないコンピュータが出来たら、データセンタの冷却効率とかどうでもよくなったりするんだろうなぁ。

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