小説は、途中から読み始めることが少ないので、紙でもそんなに不便ではない。
どこまで読み進めたか、さえすぐ分かればよいので、強力な検索機能が必要だとはあまり感じない。
(あれば嬉しいけれど。断片的にしか覚えていない文章を引用したいときとか)
一方、雑誌は目的の記事を真っ先に読むことが多い。
目次から低コストで記事にアクセスできると便利だろうな、と思う。
目下のところ、そうはなっていないらしい。
すると、「暇なので無目的に他の記事を読む」、というケースが少なくなりそう。
リンクは、目的の記事を掘り下げるコンテンツあるいは関連コンテンツに誘導しているためだ。
では、今の記事はどういう基準でスクリーニングされているのだろう?
何と何が一冊の雑誌という限られた掲載スペースで、ひもづけられているのだろう?
以下は、関連自エントリへのリンク。
主に自分のために。
どこまで読み進めたか、さえすぐ分かればよいので、強力な検索機能が必要だとはあまり感じない。
(あれば嬉しいけれど。断片的にしか覚えていない文章を引用したいときとか)
一方、雑誌は目的の記事を真っ先に読むことが多い。
目次から低コストで記事にアクセスできると便利だろうな、と思う。
目下のところ、そうはなっていないらしい。
現在見ることのできる電子雑誌のほとんどは既存の紙媒体の編集やデザインをそのまま電子的な紙芝居にしたものだ。そこで、仮に、ウェブサイトと見分けがつかない方向に変化していくと仮定してみる。
メディア化するポータルが瀕死の雑誌を飲み込もうとしている
すると、「暇なので無目的に他の記事を読む」、というケースが少なくなりそう。
リンクは、目的の記事を掘り下げるコンテンツあるいは関連コンテンツに誘導しているためだ。
では、今の記事はどういう基準でスクリーニングされているのだろう?
何と何が一冊の雑誌という限られた掲載スペースで、ひもづけられているのだろう?
以下は、関連自エントリへのリンク。
主に自分のために。