『古代から来た未来人 折口信夫』を読んだ。
本書によると、折口は人間の能力を、「別化性能」と「類化性能」との2軸に分けて認識していたそうだ。
「別化性能」は、物事を区別する能力。解像度のようなものだろう。
これが高いということは、「違いが分かる」ということ。
一方、「類化性能」は物事を接続する能力。これが高いということは、発想・連想が豊かということ。
同じ見方を、バーバラ・ミントもしている。
そこでは、「別化性能」・「類化性能」のことをそれぞれ「アレゴリー」・「アナロジー」と呼んでいる。
面白いことに、どちらも「類化性能=アナロジー」を重視している。
この能力を発揮し、異質な物事の接続により、折口信夫は宗教が生まれると言い、バーバラ・ミントは愛が生まれると言う。
大きなことを言うなぁ、とは思うけれど、確かに、考え方が変わるくらいの衝撃が生まれるには、異質な物事との接続が必要だ。
同質の物事との接触では、予定調和にしかならない。
一方で、こうした接続は暴力性を持つことがあると思う。
そうなるのは、接続が「○○は××ではない」という認識を攻撃するときだ。
少なくとも自分は、何かと十把一絡げにされてしまうと、いい気はしない。
(外から見たらそう見えるという情報自体は貴重だけれど)
本書によると、折口は人間の能力を、「別化性能」と「類化性能」との2軸に分けて認識していたそうだ。
「別化性能」は、物事を区別する能力。解像度のようなものだろう。
これが高いということは、「違いが分かる」ということ。
一方、「類化性能」は物事を接続する能力。これが高いということは、発想・連想が豊かということ。
同じ見方を、バーバラ・ミントもしている。
そこでは、「別化性能」・「類化性能」のことをそれぞれ「アレゴリー」・「アナロジー」と呼んでいる。
面白いことに、どちらも「類化性能=アナロジー」を重視している。
この能力を発揮し、異質な物事の接続により、折口信夫は宗教が生まれると言い、バーバラ・ミントは愛が生まれると言う。
大きなことを言うなぁ、とは思うけれど、確かに、考え方が変わるくらいの衝撃が生まれるには、異質な物事との接続が必要だ。
同質の物事との接触では、予定調和にしかならない。
一方で、こうした接続は暴力性を持つことがあると思う。
そうなるのは、接続が「○○は××ではない」という認識を攻撃するときだ。
少なくとも自分は、何かと十把一絡げにされてしまうと、いい気はしない。
(外から見たらそう見えるという情報自体は貴重だけれど)