図書館で『図説 不潔の歴史』の一部を読んだ。
読んだのは、『9章 衛生という名の信仰』。
その中で出てきた、"Nacirema"の話が面白かった。
"Nacirema"は、"American"の逆さ読みで、不潔恐怖症とでもいうべきアメリカ人のことを指す。
つまり、健康上の観点からは不要な習慣である、口臭対策のデンタルリンスや歯のホワイトニングに必死になる人々のことだ。
本書は、こうした習慣は、企業の広告活動によって作り出されていると言う。
もちろん、どこまでがエチケットで、どこから過剰になるかは、個人差が大きいだろう。
それでも、分布に人為が働いている (少なくとも働かせようとしている企業がある) ことは、確かにそうだろうと思う。
広告のメッセージは、単純化すると「○○していないあなたは不潔です」だ。
このようなメッセージは、受け手に(健康上の観点からは)不要な不安を与えている。
無批判に延長線上で語られているのが問題ではないだろうか。
病気を防ぐために必要であり、公共性が高い習慣と、個人または文化の嗜好であり、公共性が低い習慣とがあることを意識した方が良いように思う。
「清潔『感』」という言葉が示すように、清潔かどうかは印象の問題に過ぎないだろう。
読んだのは、『9章 衛生という名の信仰』。
その中で出てきた、"Nacirema"の話が面白かった。
"Nacirema"は、"American"の逆さ読みで、不潔恐怖症とでもいうべきアメリカ人のことを指す。
つまり、健康上の観点からは不要な習慣である、口臭対策のデンタルリンスや歯のホワイトニングに必死になる人々のことだ。
本書は、こうした習慣は、企業の広告活動によって作り出されていると言う。
もちろん、どこまでがエチケットで、どこから過剰になるかは、個人差が大きいだろう。
それでも、分布に人為が働いている (少なくとも働かせようとしている企業がある) ことは、確かにそうだろうと思う。
広告のメッセージは、単純化すると「○○していないあなたは不潔です」だ。
このようなメッセージは、受け手に(健康上の観点からは)不要な不安を与えている。
無批判に延長線上で語られているのが問題ではないだろうか。
病気を防ぐために必要であり、公共性が高い習慣と、個人または文化の嗜好であり、公共性が低い習慣とがあることを意識した方が良いように思う。
「清潔『感』」という言葉が示すように、清潔かどうかは印象の問題に過ぎないだろう。