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円・縁・遠 - ザ・サークル

『ザ・サークル』を読んだ。ベストセラーの特徴があると書かれていたうえに、そうでなくても興味持ったであろう題材だったので。

題材はSNS。個人情報の共有が行くところまで行き着く話。あるいは定型発達症候群[1]の重症患者が支配する社会になる話。

自分としては単純化し過ぎている印象。物語の勢いを殺さないためか、反対意見らしい反対意見が描かれていないのが引っかかる。SNS疲れ、忘れられる権利、プライバシーと材料には事欠かないだろうに。

もし本書のように実名登録が義務になったとしても、無作法は消えたりしないだろう。少なくとも韓国では消えなかった[2]。ここ数年でヘイトクライムが大きく取り上げられる[3]ようになったと感じているので、なおさら疑問が湧いてしまう。

というのは後知恵バイアスか。本書が出版されたのは3年前の2014年だ。もうちょっと早く読んでいたら、違った感想を抱いたと思う。

ちょっと抽象化して『CODE 2.0』の「アーキテクチャ」や『ゲンロン0』の「観光客」の概念と結びつけて考えてみた方が考えが広がるか。たとえば、ネットワークのうえでもパースナルスペースが保てたり、それを侵害するネットストーキングを防げたりするような仕組みについて考えてみる。そんなものなくても今の仕組みのうえでも複数アカウントを使い分けたりしてうまくやっている人もいる(はず)。一方で使い分けが、裏掲示板とか裏アカウントでのネットいじめの温床になっている気もする。いや、ネットいじめは、「アーキテクチャ」より「法」や「規範」の領分か。

ところで本作は映画化されていて、ちょうど今年公開される。本書や映画で初めてこの手の問題を知って、定型発達症候群の症状に自覚的になることが増えるかもしれないと思うと、悪くない。あるいはそうなって欲しい。

[1] 定型発達症候群って何?|発達障害プロジェクト
[2] 実名制がコメント荒らしを解決できない、驚くほど確かな証拠 | TechCrunch Japan
[3] アメリカのシャーロッツビルで起こった事件が記憶に新しい。日本でも2016年からヘイトスピーチ対策法が施行されている。

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