スキップしてメイン コンテンツに移動

嘘か真か、嘘と真か - ビッグ・アイズ

映画『ビッグ・アイズ』 ("Big Eyes") を観た。監督がティム・バートンさんだったので。「ある作品の嘘を知ったとき、どう受け止め直したものか」なんて疑問が湧いてくる。

以降の流れはこのとおり。冒頭の疑問については6に書いた。あとはいろいろと興味が湧いて調べたらおもしろかったことを。
  1. あらすじ
  2. 同監督の他作品
  3. 大きな目
  4. 音楽は続くよ
  5. 主演について覚書
  6. 嘘か真か、嘘と真か

1. あらすじ

この映画は、1960年代にアメリカのアート界で起こった事件に基づいている。事件の中心が〈ビッグ・アイズ〉と呼ばれた絵画作品群。自分は本作を通して初めて知ったのだけれど、当時アメリカでブームになったらしい。あのアンディ・ウォーホルが賛辞を寄せていて、本作冒頭でその言葉が紹介されている。問題になったのは、その作者。ウォルター・キーンだと思われていたのが、実際に描いていたのは妻マーガレット・キーンだったという話。

2. 同監督の他作品

ティム・バートン監督の嘘がテーマの映画ということで、『ビッグ・フィッシュ』を思い出す。タイトルも似ているし。でも、嘘の目的が真逆を向いている。それよりも、感想やレビューを読んでいたら『エド・ウッド』を挙げている人が多かった。実話に基づいているところが共通しているとのこと。未見なので観たい映画リストに入れておこう。

3. 大きな目

ところで、この〈ビッグ・アイズ〉、名前どおり大きな目が特徴。ティム・バートンが描くイラストもそうなので、影響されているんだろうな。日本のアニメやマンガに慣れているので違和感ないけれど、当時のアメリカでコレは目を引きそう。そう言えば、ディズニー映画の女の子もだんだん目が大きくなっている気が[1][2][3]。例としてディズニープリンセスを映画公開順に並べてみる。〈ビッグ・アイズ〉が知られたのが1960年代なのを踏まえて、オーロラ姫とアリエルを比べると顕著な差が見てとれる。ただし、間が30年も空いているから、ディズニープリンセス以外の映画からも補間した方が面白いかもしれない。
  1. 『白雪姫』の白雪姫(1937)
  2. 『シンデレラ』のシンデレラ(1950)
  3. 『眠れる森の美女』のオーロラ姫(1959)
  4. 『リトル・マーメイド』のアリエル(1989)
  5. 『美女と野獣』のベル(1991)
  6. 『アラジン』のジャスミン(1992)
  7. 『塔の上のラプンツェル』のラプンツェル(2010)
日本のアニメ・マンガ以外だと、奈良美智さんの作品を連想させる。モチーフが同じ気鬱そうな少女だからか。少なくとも、マーガレット・キーンさんは「私は奈良さんの絵は好きよ」という話らしい[4]。通じるものがありそう。

4. 音楽は続くよ

絵の話はこれくらいにして、作中で使われている曲についても。まずは〈ビッグ・アイズ〉が最初に飾られたバーで演奏していたCal Tjader。マリンバの音もするジャズだったので、Martin Denny[5]を思い出したので調べてみたら、一緒に演奏した曲が見つかった[6]。ちなみに作中で演奏されていたのは、これらの曲では無くて"A Minor Goof"。その酒場では、後のシーンで"Moanin'"も演奏されていた。いつ聴いても出だしから最高にかっこいい。今まで、年代を気にしてこなかったけれど、この頃のジャズに興味が湧いてきた。一方、現役のアーティストに目を向けると、Lana Del Reyの"Big Eyes"が。レトロな雰囲気も備えつつも、美しくて悲しくて、震えと鳥肌が。



5. 主演について覚書

人の話も少し。すぐ忘れるので覚書として。マーガレット・キーンを演じるエイミー・アダムスさんは、『メッセージ』のルイーズ・バンクス博士役。あとDCEU映画にもスーパーマンの恋人ロイス・レイン役で出演。夫(ウォルター)向ける眼差しの変化が印象的だった。ウォルター・キーンを演じるクリストフ・ヴァルツさんは、『イングロリアス・バスターズ』のハンス・ランダ大佐役。同じタランティーノ監督映画の『ジャンゴ つながれざる者』にも。あの含みを感じさせる笑顔がとても恐ろしい。

6. 嘘か真か、嘘と真か

最後にふたたび嘘について。

ウォルター・キーンのような、他人の作品なのに自分の作品だという嘘偽りをはばからない人は、いつの時代にもいるのだろうと思う。2014年の日本でも、佐村河内守さんのだとされていた曲は、新垣隆さんによる代作だったと明るみに出た。これくらい多くの人に取り沙汰されることは少なくても、Twitterでタイムラインを眺めていると盗作 (いわゆるパクツイ) が日常的に流れてくる。違いを感じるのは、本当の作者が情報を発信する機会や、作品の受け手が検証する方法が、格段に増えていること。検証は本当に容易になった。少なくともWeb上の文章と画像はGoogleで簡単に検索できる。おかげで検証結果も見つけやすくなっている。

もちろん、こういう嘘が減るのに越したことない。けれど、本作で描かれているウォルター・キーンが、素人目には強迫観念に駆られているように見えてきて、悪いことだと思えない人や止めたくても止められない人もいるのかな、と想像する。

ともあれ、嘘が明るみに出たときに「作品をどう受け止め直すか」は、受け手に任されているわけで。腫れ物に触るようにしか扱わなくなっちゃうのは、本当の作者にとっても作品にとっても幸せなことだとは思えなくて。でも、それまでと同じ受け止め方をするのも、無理な心情で。どうしたものか。

[1] ディズニープリンセスの大きな瞳に隠されたアニメの歴史とは? - GIGAZINE
[2] The Psychology of Giant Princess Eyes - The Atlantic ([1]の元記事その1)
[3] If Disney Princesses Had Normal-Size Eyes ([1]の元記事その2)
[4] 町山智浩 ティム・バートン監督映画 ビッグ・アイズを語る
[5] Martin Dennyを知ったのは、先日の星野源Live Tour 2017『Continues』で『Firecrackers』がカバーされていたからなので、本作を公開直後に観ていたらでは何とも思わなかったはず。そういう意味では、いいタイミングで観た。
[6] Spotifyで"Martin Denny & Cal Tjader"というドンピシャのプレイリストが見つかった。The Enchanted Sea, Exotique Bossa Nova/Quiet Village Bossa Nova (Medley), Exotica, Eden's Islandの4曲が登録されている。

このブログの人気の投稿

北へ - ゴールデンカムイ 16

『ゴールデンカムイ 15』、『〃 16』を読んだ。16巻を読み始めてから、15巻を買ったものの読んでいなかったことに気がつく。Kindle版の予約注文ではままあること。 15巻は「スチェンカ・ナ・スチェンク」、「バーニャ(ロシア式蒸し風呂)」と男臭いことこのうえなし。軽くWebで調べてみたところ、スチェンカ・ナ・スチェンク (Стенка на стенку) はロシアの祭事マースレニツァで行われる行事のようだ[1]。それなりになじみ深いものらしく、この行事をタイトルに据えたフォークメタルStenka Na StenkuのMVが見つかった。 16巻では杉元一行は巡業中のサーカスに参加することになる。杉元と鯉登の維持の張り合いが、見ていて微笑ましい。鯉登は目的を見失っているようだが、杉元もスチェンカで我を失っていたので、どっこいどっこいか。なお、サーカス/大道芸を通じた日露のつながりは、実際にもこのような形だったようだ[2]。 個々のエピソードから視線を上げて、全体の構図を眺めてみると、各勢力がすっかり入り乱れている。アシㇼパは尾形、キロランケ、白石とともにアチャの足跡を辿り、そのあとを鶴見のもとで家永の治療を受けた杉元が鯉登、月島を追っている。今更だけれど、杉元やアシㇼパは、第七師団と完全に利害が衝突していると考えていないはずだった。一方で、土方一味も入墨人皮を継続。むしろ彼らの方が第七師団との対立が深刻だろう。さらに北上するキロランケはまた別の目的で動いているようだけれど、なんで尾形も一緒なんだっけ? 『進撃の巨人』に引き続き、これもそろそろ読み返す時期か。 [1] 5つの暴力的な伝統:スラヴ戦士のようにマースレニツァを祝おう - ロシア・ビヨンド [2] ボリショイサーカスの源流は、ロシアに渡った幕末日本の大道芸人たちにあった 脈々と息づく「クールジャパン」 | ハフポスト

戦う泡沫 - 終末なにしてますか? もう一度だけ、会えますか? #06, #07

『終末なにしてますか? もう一度だけ、会えますか?』の#06, #07を読んだ。 『終末なにしてますか? もう一度だけ、会えますか?』の#06と#07を読んだ。#06でフェオドールの物語がひとまずは決着して、#07から第二部開始といったところ。 これまでの彼の戦いが通過点のように見えてしまったのがちょっと悲しい。もしも#07がシリーズ3作目の#01になっていたら、もう少し違って見えたかもしれない。物語の外にある枠組みが与える影響は、決して小さくない。 一方で純粋に物語に抱く感情なんてあるんだろうか? とも思う。浮かび上がる感情には周辺情報が引き起こす雑念が内包されていて、やがて損なわれてしまうことになっているのかもしれない。黄金妖精 (レプラカーン) の人格が前世のそれに侵食されていくように。

リアル・シリアル・ソシアル - アイム・ノット・シリアルキラー

『アイム・ノット・シリアルキラー』(原題 "I Am Not a Serial Killer")を見た。 いい意味で期待を裏切ってくれて、悪くなかった。最初はちょっと反応に困るったけれど、それも含めて嫌いじゃない。傑作・良作の類いではないだろうけれど、主人公ジョンに味がある。 この期待の裏切り方に腹を立てる人もいるだろう。でも、万人受けするつもりがない作品が出てくるのって、豊かでいいよね(受け付けないときは本当に受け付けないけれど)。何が出てくるかわからない楽しみがある。