『江戸から平成まで ロジスティクスの歴史物語』を読んだ。先日読んだ『コンテナ物語』がおもしろかったので、流通関係の本をもう一冊。
好対照な内容だった。『コンテナ物語』がアメリカにおける流通網を流れる箱の物語だったのに対して、『ロジスティクスの歴史物語』は日本における流通網の網の変遷の物語だった。
自分はハードウェアよりソフトウェア、モノよりコトが好き――要はネットにドップリなので忘れがちだけれど、モノを動かすには時間がかかる。AさんのスマホからBさんのスマホにメッセージを送るのは一瞬でも、AさんからBさんにモノを送ろうとしたら日単位の時間がかかる。
当たり前と言えばあまりに当たり前なんだけれど、日常的に必要なモノはスーパーやコンビニなどでいつでも手に入るので、なかなか意識に登らない。欲しいモノがすぐ目の前にあるのが、当たり前という感覚に陥ってしまう。あまつさえ、目の前にどころかどこにあるか分からないモノさえ、注文したら翌日に到着しさえする。
アーサー・C・クラークの
これを支えているのが、物流網だということを改めて実感させられる。
このギャップを埋め得るのは、モノの材料を現地調達して、作るモノの設計情報=コトを情報通信で、現地で作るアプローチ。空気と電気から食糧ができるというニュースを見かけたところなので、そういう日が来るのが近づいてくるのかなぁ、と考えてしまう。
一方で、古くからある方法のが、いろんな意味でロバストだよなぁ、とも。
好対照な内容だった。『コンテナ物語』がアメリカにおける流通網を流れる箱の物語だったのに対して、『ロジスティクスの歴史物語』は日本における流通網の網の変遷の物語だった。
自分はハードウェアよりソフトウェア、モノよりコトが好き――要はネットにドップリなので忘れがちだけれど、モノを動かすには時間がかかる。AさんのスマホからBさんのスマホにメッセージを送るのは一瞬でも、AさんからBさんにモノを送ろうとしたら日単位の時間がかかる。
当たり前と言えばあまりに当たり前なんだけれど、日常的に必要なモノはスーパーやコンビニなどでいつでも手に入るので、なかなか意識に登らない。欲しいモノがすぐ目の前にあるのが、当たり前という感覚に陥ってしまう。あまつさえ、目の前にどころかどこにあるか分からないモノさえ、注文したら翌日に到着しさえする。
アーサー・C・クラークの
十分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない。という言葉を思い出す。
これを支えているのが、物流網だということを改めて実感させられる。
このギャップを埋め得るのは、モノの材料を現地調達して、作るモノの設計情報=コトを情報通信で、現地で作るアプローチ。空気と電気から食糧ができるというニュースを見かけたところなので、そういう日が来るのが近づいてくるのかなぁ、と考えてしまう。
一方で、古くからある方法のが、いろんな意味でロバストだよなぁ、とも。