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flaming on everyone’s lips - ネット炎上の研究

『ネット炎上の研究』を読んだ。『津田マガ Vol.211』で知って読みたいと思ったのが数ヶ月前。随分と間を空けてしまった。

ともあれ、ネット炎上は無くなってなんかいないし、その傾向に大きな変化はないだろう。最近も、三ツ矢サイダーのCMが炎上し、公開が中止された。本書で提示されているデータが陳腐化しているとは思えない。

おもしろいと思ったのは、炎上がもたらす社会的損失の話と、炎上させている人の特長。

著者らが指摘する炎上がもたらす社会的損失とは、情報発信の萎縮のこと。もちろん、炎上した個人なり企業なりも多大な損失を被っているけれど、こういった炎上が重なると、今までオープンにされてきた情報が、表に出てこなくなってしまうという潜在的な損失を強調していた。RHYMESTERの『余計なお世話だバカヤロウ』を思い出す (『POP LIFE』に収録)。そう言えば、日清の「バカやろう」が印象的なCMも炎上したっけ。

炎上させている人の特徴を調査した結果は、漠然と抱いていたイメージと違っていて、認識を改めさせられた。まず、そもそも絶対数は少ない。炎上させているのは、ネットユーザーの0.5%程度という推計値が提示されている。『津田マガ Vol.245』で読んだYahoo!ニュースへのコメントを対象とした別の調査でも、コメントを書き込んでいるのは閲覧者の約1%。その中の2% (閲覧者の0.02%)がコメントの1/3を占めるという結果が出ている。で、どんな人が多いかというと、乱暴にまとめると「若くて裕福な子供のいる男性」が多いそうだ。そんなに収入は高くないけれど時間はたくさんある孤独な人という漠然としたイメージとは全く相容れない。あと、これは個別の事例だけれど、炎上させて逮捕までされたのに、自分の方が被害者だという人までいたそうだ。

ところで、本書が出版されたあと、アメリカ大統領選挙を通じて、「フェイク・ニュース」や「オルタナティブ・ファクト」という言葉が知られるようになった。炎上そのものではないかもしれないけれど、これらについて著者らが今どう考えているか気になるところ。フェイク・ニュースが蔓延するようなことになったら、ますます良識的/日常的な情報発信が減っていってしまいそう。

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