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sakura the space idol - 友達100人できるかな 1~5 (完)

「『友達100人できるかな』を1巻から完結巻の5巻までまとめ読んだよ」

『FLIP-FLAP』と同じ作者さんの作品ですね」

「このタイトルでまず思い出すのは、「一年生になったーら、ともだち100人できるかな」みたいな歌詞の歌。昔、何かのCMで聞いたのだけれどなんのCMだったっけ?」

「訊かれても、私は聴いたことがありませんよ!?」

「あえて突っ込まないで、次にいこう」

「はい」

「次に思い出すのが『KEY THE METAL IDOL』。記憶が曖昧だったから、調べてみたら100人どころじゃなくて3万人だった」

「桁が2つも違うじゃないですか」

「観たことは観たと思うんだけれど記憶が曖昧で。最後まで観たかどうかさえハッキリしないくらいなんだよね。何だか改めて観たくなってきたぞ、どこかで観られたりしないかな」

「これ、OVA作品なんですね。レンタルあるんじゃないですか?」

「え、これOVAだったの? ということは俺は一体どこでどうやって観たんだ。OVAを買っていないのは間違いないぞ?」

「実は観ていないんじゃないですか」

「記憶が捏造されている?」

「人間の記憶なんてその程度のものですよ」

「心理学系の読み物を読んでいると、そういう話も出てくるが。ともあれ、こんな風に過去へと思考が向くのは、きっとこの作品が80年代を舞台にしているからだろうなあ」

「それに、もうすぐ年末年始のお休みには帰省する予定ですしね」

「それも影響していそうだなあ。あと単に自分が年をとったというのもあるかもしれない。思い出して振り返ることができる程度に、年月が経ってしまった」

「思い出すのが友達のことではなくて、テレビのことばかりなのは……お察しします」

「人間強度が下がるからな」

「何物語ですか」

「という余談はおいといて。そういうノスタルジーを抜きにしても、おもしろい作品だった。試しに1巻だけと思って読み始めたのだけれど、1巻を読み終えたら5巻までまとめてダウンロードしてしまったよ。誰とどんな風に友達になっていくのか、先が気になってしょうがない。あと、道明寺さんがかわいく見えてきて困る」

「あんな登場のしかたでしたのに、ね」

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