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Outside-in - デザインの解剖展

『デザインの解剖展: 身近なものから世界を見る方法』を観てきた。

一番興味深く見られたのは「明治おいしい牛乳」の解剖。パッケージデザインもシンプルなら、中身もシンプル (原材料からの加工が少ない)だけれど、解剖されることによって多角的に検討された結果のシンプルさだということがよく分かる。

でも、最も興味をそそられたのは、どれか製品が解剖された結果ではない。複数の製品に対して適用されている解剖プロセスの汎用性。

アプローチとしては、外側から内側に向かって解剖していく。外側といっても、外装からではなくさらにその外側――製品カテゴリの歴史や製品が置かれた市場から始まる。最初にフォーカスを当てる製品の属性も、製品名という情報だ。そこまで分析して、ようやく外装に辿り着く。

今回、主な展示されていたのは食品ばかりだったけれど、他にも実に様々なカテゴリの製品に適用できているようだ。リカちゃん人形や写ルンですの解剖も一部だけれど展示されていた。

このアプローチ、モノだけではなくて、いわゆるレガシーシステムの分析に応用できないだろうか。

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