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Under The Tests - システムテスト自動化標準ガイド

システムテスト自動化 標準ガイド CodeZine BOOKS『システムテスト自動化標準ガイド』を斜め読みした。「システムテスト」というと機能テストだけでなく非機能テストも含むことが多いけれど、本書の中心は機能テスト。もちろん機能テストだけでもトピックは多岐に渡る。なお、「標準」とあるけれどISOなどの標準化団体がオーソライズしているわけではない。

本書が説明しているのは、テスト実行ツールを用いて中~大規模のテスティングを自動化し、継続的に利益を得るためには、自動テスティングの枠組みをどのように設計・構築すれば良いか。「継続的」であるために、「スパゲティテスト」を問題にしている。具体的には、キャプチャリプレイツール (例えばSelenium IDE) の安易な利用で濫造されるメンテナビリティの低いテストコードを想定しているみたい。「第2章 キャプチャーリプレイはテスト自動化でない」で「単なる記録によるテスティングの自動化は行うなかれ」と提案している。システムテストではなくユニットテストにフォーカスした"xUnit Test Patterns"でも同じ事を言っていた。

以下、あとで参照するときのための覚え書きとして、どこにどんなことが書いてあるか簡単に整理しておく。

第1章、第2章は概論と失敗シナリオ(キャプチャリプレイだけでは自動化できない)の説明。

第3章から第9章までが、テスト自動化に関する技術の話。第3章はテストコードの開発アプローチ(リニア/構造化/共有/データ駆動/キーワード駆動)について。第4章は自動比較 (4 Phase TestでいうVerify) の自動化について。第5章はテストウェア(テストコードやテストデータ、各種ドキュメント、テスト結果)のアーキテクチャ。第6章は前処理と後処理 (4 Pahse TestでいうSetupとTear Down) の自動化。第7章が保守性について。第8章はテスト管理やテスト自動化で計測するメトリクスについて。最後の第9章は落ち穂拾い。

第10章、第11章は非技術面の話。第10章はツールの選択プロセスについて。第11章は組織に導入し定着させるためのプロセスやそこで各人が果たす役割について。自分が苦手とするところなので、ここは気持ちしっかり読んだ。が、苦手だからだろうなぁ、あまり具体的なイメージが湧かない……。

第12章以降は事例。ここは翻訳ではなく、翻訳と合わせて日本の著者による書き下ろしで差し替え。原著が出版されたのが1999年であり事例が古びてしまったためのとのこと。

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