『表現と介入: 科学哲学入門』を読んだ。直接には観察できない電子とか素粒子とかは実在するものなのか? という問いに対して、科学哲学史を振り返りながら、一つの回答を提示している。
回答を端的に表していて、自分が気に入ったのは、この一文。
この主張に至るまで、前半「第一部 表現すること」で理論について、後半「第二部 介入すること」で実験について書かれている。
前半が科学哲学史。指示理論とか理論不可性とかローティとかクワインとかデイビットソンとか出てきた。そう言えばこのあたり『哲学の最前線』で読んだ気が。あとポパーとかファイヤアーベントとか『理性の限界』でも登場してたっけ。
後半が筆者の主張。戸田山和久先生の解説によると、要約すると次の二文。
これだけ分厚くて難しいのに勢いで面白く読めるのがまたすごい。訳者あとがきからの孫引きだけれど、本当に
回答を端的に表していて、自分が気に入ったのは、この一文。
理論化ではなく、工学技術(engineering)が対象にかんする科学的実在論の最良の証明である。介入し操作できているものは実在している。そういうことだろう、きっと。理論の方が評価される傾向に逆らって、実験の地位を回復する。理論と実験の二項対立を脱構築しているような気がする。
この主張に至るまで、前半「第一部 表現すること」で理論について、後半「第二部 介入すること」で実験について書かれている。
前半が科学哲学史。指示理論とか理論不可性とかローティとかクワインとかデイビットソンとか出てきた。そう言えばこのあたり『哲学の最前線』で読んだ気が。あとポパーとかファイヤアーベントとか『理性の限界』でも登場してたっけ。
後半が筆者の主張。戸田山和久先生の解説によると、要約すると次の二文。
- あなたが電子を吹きかけるならば、それは実在する
- 実験活動はそれ自身の生活をもっている
これだけ分厚くて難しいのに勢いで面白く読めるのがまたすごい。訳者あとがきからの孫引きだけれど、本当に
パトナムの形容を借りれば、「速く読めるが、消化〔理解〕に時間がかかる」本である。ただ、自分には時間を掛けても消化できなさそう……。