スキップしてメイン コンテンツに移動

Bad Meets Noble - バッドデータハンドブック

バッドデータハンドブック ―データにまつわる問題への19の処方箋『バッドデータハンドブック』を読んだ。

「ハンドブック」という言葉からパターンなりノウハウなりがまとまっているかと思っていたけれど、どちらかというとエッセイ風な印象を受けた。そもそも体系的に扱えないのがバッドデータだから、期待が過剰だったか。

本当に色々な話がある。「1章 はじめに:バッドデータとは何か?」ではこんな風に整理されている。

泥臭い実務のためのアドバイス
  • 2章 気のせいかな。このデータ、何かおかしくないか?
  • 3章 機械ではなく人間が使うことを意図したデータ
  • 4章 プレーンテキストに潜むバッドデータ
  • 5章 Webにあるデータの(再)構成

予期せぬことをするデータ
  • 6章 オンラインレビューから嘘つきと混乱した人を発見する
  • 9章 データと現実が一致しないとき

アプローチ
  • 8章 血と汗と尿
  • 7章 バッドデータは起立して
  • 10章 バイアスとエラーの源
  • 11章 最善は善の敵、バッドデータは本当にバッドなのか?

データストレージとインフラ
  • 13章 Crouching Table, Hidden Network
  • 14章 クラウドコンピューティングの神話
  • 12章 ファイルにこだわる

データのビジネス面
  • 16章 機械学習の専門家の手なづけ方
  • 15章 データサイエンティストのダークサイド

データポリシー
  • 17章 データ追跡可能性
  • 18章 ソーシャルメディア:消去可能インク?
  • 19章 データ品質分析の解明:データが十分良いときを知る

面白かったのは、2~4章と、10, 11章。バッドデータしかないときにどう取り組むか、先人の知恵に学びたい。特に「11章 最善は善の敵、バッドデータは本当にバッドなのか?」が示すバッドデータへの見方はすぐにでも。
データに基づかない判断より、不完全なデータに基づいた判断の方が良いのです。
バッドデータからだって分かることがあるんだから。

このブログの人気の投稿

北へ - ゴールデンカムイ 16

『ゴールデンカムイ 15』、『〃 16』を読んだ。16巻を読み始めてから、15巻を買ったものの読んでいなかったことに気がつく。Kindle版の予約注文ではままあること。 15巻は「スチェンカ・ナ・スチェンク」、「バーニャ(ロシア式蒸し風呂)」と男臭いことこのうえなし。軽くWebで調べてみたところ、スチェンカ・ナ・スチェンク (Стенка на стенку) はロシアの祭事マースレニツァで行われる行事のようだ[1]。それなりになじみ深いものらしく、この行事をタイトルに据えたフォークメタルStenka Na StenkuのMVが見つかった。 16巻では杉元一行は巡業中のサーカスに参加することになる。杉元と鯉登の維持の張り合いが、見ていて微笑ましい。鯉登は目的を見失っているようだが、杉元もスチェンカで我を失っていたので、どっこいどっこいか。なお、サーカス/大道芸を通じた日露のつながりは、実際にもこのような形だったようだ[2]。 個々のエピソードから視線を上げて、全体の構図を眺めてみると、各勢力がすっかり入り乱れている。アシㇼパは尾形、キロランケ、白石とともにアチャの足跡を辿り、そのあとを鶴見のもとで家永の治療を受けた杉元が鯉登、月島を追っている。今更だけれど、杉元やアシㇼパは、第七師団と完全に利害が衝突していると考えていないはずだった。一方で、土方一味も入墨人皮を継続。むしろ彼らの方が第七師団との対立が深刻だろう。さらに北上するキロランケはまた別の目的で動いているようだけれど、なんで尾形も一緒なんだっけ? 『進撃の巨人』に引き続き、これもそろそろ読み返す時期か。 [1] 5つの暴力的な伝統:スラヴ戦士のようにマースレニツァを祝おう - ロシア・ビヨンド [2] ボリショイサーカスの源流は、ロシアに渡った幕末日本の大道芸人たちにあった 脈々と息づく「クールジャパン」 | ハフポスト

戦う泡沫 - 終末なにしてますか? もう一度だけ、会えますか? #06, #07

『終末なにしてますか? もう一度だけ、会えますか?』の#06, #07を読んだ。 『終末なにしてますか? もう一度だけ、会えますか?』の#06と#07を読んだ。#06でフェオドールの物語がひとまずは決着して、#07から第二部開始といったところ。 これまでの彼の戦いが通過点のように見えてしまったのがちょっと悲しい。もしも#07がシリーズ3作目の#01になっていたら、もう少し違って見えたかもしれない。物語の外にある枠組みが与える影響は、決して小さくない。 一方で純粋に物語に抱く感情なんてあるんだろうか? とも思う。浮かび上がる感情には周辺情報が引き起こす雑念が内包されていて、やがて損なわれてしまうことになっているのかもしれない。黄金妖精 (レプラカーン) の人格が前世のそれに侵食されていくように。

リアル・シリアル・ソシアル - アイム・ノット・シリアルキラー

『アイム・ノット・シリアルキラー』(原題 "I Am Not a Serial Killer")を見た。 いい意味で期待を裏切ってくれて、悪くなかった。最初はちょっと反応に困るったけれど、それも含めて嫌いじゃない。傑作・良作の類いではないだろうけれど、主人公ジョンに味がある。 この期待の裏切り方に腹を立てる人もいるだろう。でも、万人受けするつもりがない作品が出てくるのって、豊かでいいよね(受け付けないときは本当に受け付けないけれど)。何が出てくるかわからない楽しみがある。