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何が「そんなこと」なのか? - ムカシ×ムカシ

ムカシ×ムカシ (講談社ノベルス)『ムカシ×ムカシ』を読んだ。ええっと、〈Xシリーズ〉何冊目だっけ? 前作の記憶が全くと言っていいほどなくなっている。ろくすっぽタイトルさえ思い出せない。調べてみたら、前作は『タカイ×タカイ』で発売されたのは約6年半だった。

そんなわけで、感想が朧気だけれど、もしかしてこのシリーズは動機に焦点を当てているのかもしれない、と想像する。本シリーズの小川さんの発想は、〈S&Mシリーズ〉の犀川先生や〈Vシリーズ〉の紅子さん、〈Gシリーズ〉の海月君とは対照的に描かれているように見える。

他シリーズでは、一見不可能に見える事件に対し、探偵役が現実に起こったことを合理的に説明できる唯一に見える推理を披露している。そこでは犯行の動機は取り沙汰されない。探偵役の関心が薄いこともあるのかもしれないし、そもそも説明可能な推理がそれしかないから、動機が何であれ問題にならない。皆無だろうが、事件を起こさないインセンティブがあろうが、他の可能性があり得ないならば、推理通りであるしかない。

これに対して、〈Xシリーズ〉はまず境界条件が曖昧。吹雪の山荘でもないので、行きずりの犯行という可能性だって消しきれない。本作に至っては、犯人特定の決め手はいたってありきたりだ。本格ミステリィにあるまじき決め手と言っていいと思う。それくらい面白くない理由で犯人が特定される。

でも、本シリーズの味はそこから。探偵役(なのかな? 犯人は既に特定されている)の小川さんは動機に思いを馳せる。その動機が、とても人間的というか観念的というか。痴情のもつれとか金に目が眩んでとかではなくて(それらを見せ球にしつつ)、そういうのを期待していたら「は、何それ?」ってなるような動機が示される。ただ、本シリーズを読んでいる人なら、そこまで敵対的なリアクションはとらないような気がする。何となくだけれど。

できるだけ抽象的に言うと、認知的不協和をどうにかするために人はどうにでもしてしまうんだろうし、個人の認知を他人が伺い知るのは容易ではない。だから、思いがけない理由で想像もしない行動をとる他者が存在し得る。そういう話だった。

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