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冷静に迅速に継続的に

増補改訂版 家族で語る食卓の放射能汚染『増補改訂版 家族で語る食卓の放射能汚染』を読んだ。

震災から10ヶ月以上が過ぎて、「ベクレル」とか「シーベルト」とか聞えてこなくなってきたけれど、放射性物質がなくなったわけではないわけで。

本書の目次は下記の通り。第3章までは基礎知識で、第4章が特に食品の放射能汚染に関する話。
  • 福島原発事故危機の中で
  • 第1章 はじめに――私がやってきたこと
  • 第2章 放射能って何だろう?
  • 第3章 放射線の人体への影響
  • 第4章 食品の放射能汚染にどう対処するか?
基礎知識に関しては検索したりもしたけれど、自分の場合このように本の形でまとまっている方が、飲み込みやすい。

内容も落ち着いたトーンで変な煽りもなく、冷静に読み進められた。ベクレルやシーベルトの意味するところなど、随分と理解が進んだと思う。各単位が何のためにどう設計されたか丁寧に解説してくれている。

タイトルにある「食卓」ひいては食品の汚染は、第4章に書かれている。自然に存在する放射性物質もあるので、それも含めて無用な被曝を減らそう、というのが著者の主張。

実際、ゼロにはできないので、それが現実的なんだろうな、と思う。

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