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サムライのおさらい

アジャイルサムライ−達人開発者への道−『アジャイルサムライ』を読んだ。

「サムライ」とカタカナでの表記を見ると、SF小説『サムライ・レンズマン』のシン・クザクを思い出す。歴史上の「侍」については『切腹』(感想) と『かたき討ち』(感想) を読んだくらいなので、偏っていると思う。

エネルギィが湧いてくる良い指南書。特に次の一節。そもそもそんなに質が高いソフトウェアを書けるか、という問題はさておく。
「でも、職場でアジャイル開発が一切許されなかったらどうすりゃいいの?」

それもまた、君の選択次第だ。
君が質の高いソフトウェアを届けることは誰にも止められない。
プロジェクトマネジメントに関しては、次の2つが気になった。
  • インセプションデッキ
  • 期待マネジメント
今やっている仕事に関して、状況や方針はみんな同じように考えているだろうか? それから、成果として何が期待されているか、作っている側と受け取る側があっているだろうか? 正直、確信が持てていない。

「てごわい質問」をできるようになりたい。

続いて、開発に関しては全部気になった。第V部で「問答無用で実践すべき」と紹介されている。
  • ユニットテスト
  • リファクタリング
  • テスト駆動開発
  • 継続的インテグレーション
今、特に欠けているのは、継続的インテグレーション。他は、まがりなりにも部分的には導入している。

全体像を示すことを主眼に置く本書だけでは導入できないので、引き続き精進しよう。

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