『〈リア充〉幻想―真実があるということの思い込み』を読んだ。
「孤独」でもええやん、と再確認した。
少なくとも、「孤独」な時間は必要だと思っている。
『プレゼンテーション Zen』(感想)からの孫引きだけれど、精神分析学者・臨床心理学者エスター・ブーフホルツ博士も、
でも、コミュニケーションも人間の基本的な欲求なんだろうな、とも思う。
だから、ある時はリア充であるときは非リア充で、あるときはコミュであるときは非コミュなのが、みんなだと思う。
どちらにどれだけ振れているか、は人によって違うだろうけれど。
それを、100%リア充ないから、とちょっとした欠点に見えないこともないような部分をこれ見よがしにあげつらって自分はダメだ、なんて思い込むから、ますます思い詰めることになるんじゃないか、と想像する。
見えているものしか見えないし、聞こえることしか聞こえないし、言えることしか言えないし、知っていることしか知らないし、出来ることしか出来ないけれど、そこから先を想像することが出来れば、それだけで視界は意外なほど広がるんじゃないだろうか? などと思う。
思うだけ。
「孤独」でもええやん、と再確認した。
少なくとも、「孤独」な時間は必要だと思っている。
『プレゼンテーション Zen』(感想)からの孫引きだけれど、精神分析学者・臨床心理学者エスター・ブーフホルツ博士も、
一人きりの時間を持つことは人間の基本的な欲求だと一般に考えられており、それを否定するのは心と体の健康にとってよいことではない。と言っている。
でも、コミュニケーションも人間の基本的な欲求なんだろうな、とも思う。
だから、ある時はリア充であるときは非リア充で、あるときはコミュであるときは非コミュなのが、みんなだと思う。
どちらにどれだけ振れているか、は人によって違うだろうけれど。
それを、100%リア充ないから、とちょっとした欠点に見えないこともないような部分をこれ見よがしにあげつらって自分はダメだ、なんて思い込むから、ますます思い詰めることになるんじゃないか、と想像する。
見えているものしか見えないし、聞こえることしか聞こえないし、言えることしか言えないし、知っていることしか知らないし、出来ることしか出来ないけれど、そこから先を想像することが出来れば、それだけで視界は意外なほど広がるんじゃないだろうか? などと思う。
思うだけ。