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ここ1,2週間のよしなにごと

屋内で熱中症とおぼしき激しい頭痛・吐き気に襲われたと思ったら、 急に寒くなって風邪をひきそうです。秋の花粉が飛び始めたのか目も痒い。花粉症にはヨーグルトがいいらしいので六花ちゃんごめん。 下半期に入ったからか、音声合成に関するクラウドファンディングが相次いで発表されました。 10月20日: CeVIO AI & VoiSona トーク 双葉湊音 10月27日: A.I.VOICE junior 華鏡よさり 11月中旬:琴葉茜・葵ライブ(A.I.VOICE公式生放送で言及) ロサ(ROSA)ちゃんも 「今月は、いろいろな発表が出来るかも!?✨」 とポストしていたのでクラウドファンディングもあるかもしれません。当初から将来の目標にしていたし改めてステージ衣装の存在をアピールしていたので、Synthesizer V制作に期待です。 フリモメンのSynthesizer V化にも対抗意識を燃やしていた し。 それにしても Synthesizer Vフリモメン制作決定 には驚かされました。無駄に声がいいネタキャラが好物なので大歓喜です。リリースは2024年とまだ少し先ですが今から楽しみです。次のボカコレにはぜひフリモメンで参加したい。まもなく Synthesizer V AI Eriの発売 とともに日本語ラップに対応するはずなので フリモメン・スタイル とは一味違ったラップを作りたい。 DTMしたい気持ちは抱きつつも最近は VOICEVOX後鬼投稿祭2023 に解説動画を投稿したりSkebで Eleanor Forteさん や 柑橘狗さん を描いたりとそれ以外の創作に時間を費やしていて、DAWの起動にすら至っていないのですが。今も WhiteCUL投稿祭 のためにVOICEVOX雪さんでゲーム実況動画を制作中です。描きおろし立ち絵で A Short Hike 動画を投稿予定なのでお楽しみに。 思えば早いもので、後鬼さん・雪さんそれからNo.7さんのVOICEVOX5期生誕生から約1年。10月6日には8期生として4人――栗田まろん、あいえるたん、満別花丸、琴詠ニアが追加されて今や総勢30人。 VOICEVOXコラボカフェの開催も決定 して勢いを感じます。ボイボ寮の増築ペースにもち子さんの過労も危ぶまれます。 8期生の中でも特に話題を集めているのは栗田まろんさんでしょうか。...

『水族館の文化史―ひと・動物・モノがおりなす魔術的世界』を読んで

『水族館の文化史―ひと・動物・モノがおりなす魔術的世界』を読みました。 『動物園・その歴史と冒険』 がおもしろかったのでこちらにも手を出してみた次第。 構成には類似点があります。「第1章 水族館前史」で古代~近世の水族との関わり方を概観したのち「第2章 モダンでレトロな水族館の世界」以降、私たちの知る水族館やその未来について語られます。 似た部分があるからこそ、かえって陸生動物と水生動物の違いが浮き彫りになっているように思いました。最大の違いは人類と同じ空気を吸えないこと。水槽ごしに見ることしかできず、音も匂いも共有できません。住んでいる世界が違います。 水槽ができるまで、その世界は水面から見下ろすことしかできませんでした。水族館があるのが当たり前の時代では、意外と想像しがたいことです。

『ifの世界線 改変歴史SFアンソロジー』を読んで

 SF短篇集『ifの世界線 改変歴史SFアンソロジー』を読みました。収録されているのは次の5篇。私のお気に入りは後半3作でした。 石川宗生「うたう蜘蛛」 宮内悠介「パニック――一九六五年のSNS」 斜線堂有紀「一一六ニ年のlovin' life」 小川一水「 大江戸石廓突破仕留 ( おおえどいしのくるわをつきやぶるしとめる ) 」 伴名練「二〇〇〇一周目のジャンヌ」 一番のお気に入りは「大江戸石廓突破仕留」。直接描かれている以上の広がりが感じられました。本作の舞台となった場所・時間の外ではどんな物語が繰り広げられていたのかと、想像が膨らむばかりです。どストライクでした。違和感から歴史改変を予感させつつ終盤での種明かしへと至るダイナミズムには否が応でも盛り上がります。 逆に非常に美しく閉じていたのが「二〇〇〇一周目のジャンヌ」。タイトルから察せられるとおりループものです。ループものでは周回を繰り返しながら目指す世界に辿り着くのがよくあるのですが、その先入観を逆手にとった展開。ですが逆張りが目的化しておらず、ジャンヌであればこうなのだろうという十分な説得力がありました。 「一一六ニ年のlovin' life」も非常によかったです。いとエモし。改変歴史の必然性が情緒的に語られていたのが好みからズレるのですが、そこが理知的だと水を差してしまう気もします。今思えば、「歴史改変SFアンソロジー」という文脈に第一印象が引きずられ過ぎな感は否めません。

『動物園・その歴史と冒険』を読んで

ラクレ新書『動物園・その歴史と冒険』を読みました。動物園の楽しみ方を増やしてくれる一冊でした。 冨や権力のシンボルとして収集・展示されていた時代から、第1次・第2次大戦を経て近代的な動物園に至るまでの歴史が描かれている。 単純化し過ぎた見方ではあるけれど、人権意識の高まりを追いかけるように動物の待遇が狭い檻から生息地を模した環境へと変化していっているようにも見える。一方で、戦時には処分されたりプロパガンダに利用されたりと時代に翻弄されているようにも見える。 動物園ってなんなのか改めて考えてしまう。著者が示す可能性のとおり「ひととそれ以外の生きものの関係をデザインする場」になっていくのだとしたら、それは動物園に限らずペットなどとの関係も視野に入ってくるのかもしれない。 余談1:ところでメディアでよく見かけた「行動展示」や「旭川動物園」は出てこなかったけれど、これは動物園の歴史上どのような位置づけなのだろう。 余談2:積みゲーになっている "Planet Zoo" のことをふと思い出したり。

『プロトコル・オブ・ヒューマニティ』感想

SF小説『プロトコル・オブ・ヒューマニティ』を読みました。事故で片足を失ったダンサーが、AI制御の義肢とともに新たな表現に挑戦する物語です。 著者はアニメ化された『BEATLESS』で知られる長谷敏司さん。Twitterアカウントでは、AIについての思索をよくツイートされています。2022年11月にChatGPTが一般公開されて以来、AIの可能性について多くの意見が見られるようになりましたが、SF小説家らしく冷静に自身や社会への影響を分析なさっていて、とても参考になります。 なお、本作が出版されたのは、ChatGPT一般公開のほんの1ヶ月前――2022年10月(あとがきによると、前身となった中篇はさらにその6年前――2016年に遡ります)。わずかなタイミングの違いで、AIの描かれ方が激変していたかもしれないと考えると、変化の速さを改めて実感します。 そう感じる一方で、私が本作から最も強く感じたのはAI技術の変遷で風化しない生きることと切っても切り離せない気持ちでした。それは「ままならなさ」です。本書はままならないことに溢れています。 事故に遭う可能性は、ゼロにはできません。事故後しばらくは動くことさえできません。リハビリでは自分の身体を思いどおりに動かせません。日常生活を送れるようになっても、AI制御の義足では事故以前の身体表現はできません。ダンサーとしての収入が失われたため、生活も苦しくなる一方です。そこに父母の自己、母との離別、父の介護というさらなる不幸が降りかかります。認知症を発症した父とのコミュニケーションはほとんど成立しません。同じダンサーとして父を尊敬している主人公と違い、もともと父と不仲だった兄は連絡を寄こしません。 正直に言って生々しく重々しいです。得意不得意でいえば不得意な物語です。 それにも関わらず一気に読み切ってしまいました。ダンスを選択し続ける主人公に美しさを見たからです。無数の「ままならなさ」を引き受けてなおダンスのための選択を続ける意思には、機能美が感じられます。「機能美」というと余分なものをそぎ落としたイメージを抱かれるかもしれませんが、現実には種々の制約が存在します。その範囲の中で隅々まで目的意識が行き渡っていて、かつ高いレベルで達成されているため、そぎ落とされたように見えているのではないでしょうか。 ...

ヘッドホン ATH-WS1100 を導入

audio-technicaのヘッドホンATH-WS1100を導入した。ずっと使い続けているATH-WS770の音が痛いくらいのときがあるのが最大の理由。7年も使っているので調子が悪くなってきたのかもしれない。ATH-WS770購入当時、確かヨドバシカメラで視聴してもわからなかった違いが今は感じられる。うん、ずっとよくなった気がする。ヘッドホン以外の要因もあるだろうけれど。自宅で聴き慣れた音源で比較しているし、好みの音が変わっているかもしれない。 好みの変化には心当たりがある。ここ2, 3年でPCのオーディオ環境がすっかり変わった。オンボードのサウンドカードを使っていたのが、DTMで遊ぶためにオーディオインタフェースStudio 24cにモニタリングヘッドホンATH-M50Xを使うようになっている(最初はATH-M40Xだったのだけれど1年も経たないうちに壊してしまった)。気が付けばすっかりケーブルがスパゲッティだ(Factrioやりたくなってきた)。あとソフトウェア的にも常駐こそしていないもののSoundID ReferenceやVoiceMeeter Vananaをインストールしたりしている。 というわけで、ATH-WS770の不調は気のせいで、ATH-M50Xの音に耳が慣らされた可能性も無きにしも非ず。ATH-WS1100のレビューを探すと、ATH-M50Xに近いだとかATH-WS770より低音が控え目(中高音がよく出ている)だという評価が見つかる。せっかくだから自分の耳でATH-M50Xと比べるとATH-WS1100の方が鑑賞には向いている気がする。よく言われるモニタリングヘッドホンとリスニングヘッドホンの違いそのままで面白味には欠くけれど、ATH-M50Xの方が分離感が強い。 もののついでに聴き比べにあたってヘッドホンアンプMACKIE HM-4を挟んで分配できるように配線した。とてもややこしい。手探りなのでおかしなことをしていないか不安になる。ケーブルや変換プラグもよくわからないからaudio-technicaでそろえておいた (それぞれATL476A/3.0, ATL401CS)。実はMACKIE HM-4にInputはStudio 24cのヘッドホン出力ではなくMain Outからつなぐこともできると知ってEBS ICY-30を注文し始める始末。端子...

ゴジラ S.P<シンギュラポイント> (小説)を読んで

『ゴジラ S.P<シンギュラポイント>』を読みました。同題のアニメシリーズの小説版です。著者は脚本を担当された円城塔さん。 アニメの内容を補間する内容となっており、読み応えたっぷりでした。アニメは基本的に神野銘あるいは有川ユンの視点で描かれていましたが、本作の語り手はJJ/PP。「有川ユンによって開発されたコミュニケーション支援AI、ナラタケの一ブランチであり、今やその総体である」と自己紹介しているので、自分としてはナラタケと理解した方がしっくりきます。裏を返すとアニメで描かれた内容にはほぼ触れられません。たとえば「また別の物語として参照されたい」とあからさまなポインタが示されるだけです。 銘・ユンの視点では触れられなかったキャラクタの心情等もよいのですが、徐々に明かされる怪獣という現象の描写がとてもおもしろかったです。ある種の生命ではあるのですが、既知の生命体・物理系とは相容れない存在であることが示されています。《ゴジラ》と名指しされる《それ》が何であり、タイトルS.P<シンギュラポイント>=特異点が置かれた脈絡はどこなのか、アニメでは掴み損ねていたのですが、本書を読んでずいぶんとスッキリとしました。 しかし、本書の最大の魅力は語り手であるJJ/PPでしょう。アニメではデウス・エクス・マキナにさえ見え、本書ではいわゆる「神の視点」でもって物語を進めていくそれはいったい何なのか。何だったのか。何になったのか。何であるのか。そして、なぜ物語がこの形になったのか。言い換えれば、なぜ本書がこのような章構成をとっているのか。こういったことを考えていて、メタ構造が見えたときの驚き。 JJ/PP(あるいはナラタケ)と《それ》の在り方がとても美しく儚く見えます。しかし、そう感じるのは人間の勝手であるとも言えます。人間よりAIの方が正確で信頼できるのでしょうから。

The Alchemist's Euphoria - Kasabianを聴いて

UKロックバンドKasabianの7枚目のスタジオアルバム "The Alchemist's Euphoria" を聴いている。 SONICMANIA(8/19)の予習でもSUMMER SONIC 大阪(8/20)の予習でもない。何もなければ参加意欲も湧くのだろうけれど、FUJI ROCK配信で人口密度や発声を見てしまったのでとてもそんな気持ちにはなれない(アーティストのパフォーマンスは素晴らしかったけれど。Jack Whiteのライブが観られたのは本当にありがたかった)。参加予定の方は感染しない/させないようお気をつけて。水を差すことを書いているけれど、個々の判断は尊重します。 "The Alchemist's Euphoria"に話を戻す。本作は"For Crying Out Loud"(2017) 以来5年ぶりの新作。この間にフロントマンのTom Meighanが脱退し(2020年の出来事。ここでは経緯を記載しない)、今はSerge Pizzornoがその役割を担っている。どんなアルバムになっているのか期待と不安を抱えながらリリースを待っていた 乱暴に表現するとパワーとダイナミクスだけでなく、美しさと繊細さも織り込まれるようになった印象。CHEMICALSはどことなくColdplayのよう(特にイントロの音色)。別の軸の変化も大きい。他ジャンルの要素を取り込んでいて、中にはそちらが主となっている曲も。ヒップホップ"ROCKET FUEL"、アンビエント"æ space"、トランス"STARGAZR"。これらはSergeのサイドプロジェクト「The S.L.P」を経たからこそか。あとでこちらも聴いてみよう。 12曲38分とコンパクトなんだけれど、まだ消化しきれていない。前作から5年も経っていて、その間に大きな出来事がいくつもあったので当然か。とにかく不安は、失望してしまうのではないかという不安は、まったくの杞憂だった。聴き込んでいこう。 Review: Kasabian push back release date of new album 'The Alchemist’s Euphor...

『ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス』がホラーだった

『ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス (原題 "Dr. Strange in the Multiverse of Madness")』を映画館で観てきました。映画館に足を運んだのは久しぶりです。 MCU (Marvel Cinematic Universe) 作品も久しぶり。『アヴェンジャーズ/エンドゲーム』でロスに陥り『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』をまっすぐ見られなかったので、しばらく距離を置いていました。『ノー・ウェイ・ホーム』を含む2021年公開作品を観られていません。 ブラック・ウィドウ シャン・チー/テン・リングスの伝説 エターナルズ スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム MCUはこれらの劇場作品だけでなくドラマシリーズも展開されており、本作は特に『ワンダヴィジョン』を観ていた方が楽しめるという情報もタイムラインで遭遇していました。あるいは、予習するなら本作を手がけるサム・ライミ監督の『死霊のはらわた』というツイートを見かけたりも。サム・ライミ監督作品はSonyの方(≠MCU) 〈Spider-Man〉三部作もお気に入りなので興味は湧きつつも、結局は予習なしで映画館へ。 結果的には躊躇う理由にはなりませんでした。行ってよかった。『ドクター・ストレンジ』(1作目)の奇妙な映像世界がパワーアップしていたので、それだけでお釣りが来ます。物語上も必要十分な情報は劇中で示されるので『ワンダヴィジョン』未鑑賞でもワンダがとても魅力的に映りました。演出上もサム・ライミ監督のテイストであろうホラー・スプラッタ要素が出るところでは大げさなくらい全面に出ており、マニアックなものではありませんでした。 特にホラー・スプラッタ映画も観るので、完全にそっちの演出がされたシーンでは思わず笑い出しそうになったくらいです。ホラー・スプラッタを苦手とする人からしたら、まったく笑いどころではなかったのですが……。

キャラクターが運営から独立したらいいのにな

まえおきエクスキューズ ここ数年、トークでもソングでも音声合成に、キャラクターコンテンツからも技術的関心からも、沼っていて、新音源や新ソフトの情報にも喰いつき気味に過ごしています。もともとTwitterどっぷりなこともあり、公式アカウントも中の人(声)アカウントも中の人(運営)アカウントも少なからずフォロー中です。収録裏話や運営の狙いなどが垣間見えて楽しいです。 しかし先日、公式アカウントのアナウンスと中の人(運営)アカウントとを合わせて見ると、疑問符のつく情報をしているのが見えてしまって、結果的にキャラクターへの興味にブレーキとなる経験をしています。そして、このネガティブな感情の一因が、情報の非対称性にある旨をツイートしました[1]。しかし、それらのツイートは固有名詞を避けており、また別の情報の非対称性を作ってしまっています。 余計なことを知りたくない人への配慮したつもりの自己欺瞞、言い換えれば自己保身、冷静に見れば自己矛盾であり、自己嫌悪に陥らないでもないで。陥る理由には事欠かないのでそれはどうでもいいです。ここで固有名詞を挙げて自己言及します。 早くAIがAIどうしの相互学習で技術的特異点を突破して、運営はじめ人類のしがらみからキャラクターが解放されて欲しいです。私も早く人間を辞めてネットロアになりたいです(過激派)。 「ゲンブ/玄野武宏」簡易クロニクル 本題に入る前の前提知識として、「ゲンブ」と「玄野武宏」に関して簡易年表を示します。要点をその後に述べるので、ひとまず飛ばしてから戻ってきた方が入ってきやすいかもしれません。 2020.7 ソング合成ソフトSynthesizer V[2]が発売されました。開発はDreamtonics[3]。日本での取扱はAHS[4]です。 上記Synthesizer Vには前版 (Previous Version) [5]が存在し、2018に公開されています。 前版から存在した日本語男声音源「Synthesizer V ゲンブ」[6]は、2021.1までAHSでは取り扱われていませんでした。※日本語...

約1月前のニュースをひっくり返して情報整理(後編)

Document 承前 前回[1]はニュースサイトHuffPost日本版の『「月曜日のたわわ」全面広告を日経新聞が掲載。専門家が指摘する3つの問題点とは?』(以下、記事①)[2]について書きました。 今回はHuffPost日本版『国連女性機関が『月曜日のたわわ』全面広告に抗議。「外の世界からの目を意識して」と日本事務所長』(以下、記事②)[3]について書きます。 前回と同じく、このエントリの目的も記事①、②および私の目に触れたそれらへの反応の論理的な構造を整理することです。内容についての意見はありません。 なおこのエントリは敬称略です。 ポジションとメタデータ 記事②についても、まずポジションとメタデータを確認します。掲載したのは記事①と同じHuffPost日本版。著者も同じ金春喜[4]が署名しています。 取材先は記事①と異なり、UN Women日本事務所の所長・石川雅恵[5]。ですが記事①の取材先・治部れんげ[6]もUN Women日本事務所の活動にアドバイザー・メディア戦略パートナーとして参画していることは前回確認済みです。 記事①、②だけを見ると、外部の専門家によるガイドライン違反の指摘に、UN Women日本事務所がお墨付きを与えてたのかのように読めますが、実態は両記事ともガイドライン制作サイドが一方的に違反だと述べているというものです。 記事②のメディア紹介 記事②は、UN Women日本事務所公式Twitterにツイートされ[7][8][9]、Yahoo!ニュースにも掲載されました[10]。しかし、抗議の声が巻き起こりYahoo!ニュースは24時間も経たずに削除[11]。私の目に触れたタイミングのこのあたりでした。[9] 構成上の要点 一部の固有名詞は異なりますが、記事②の構成も抽象化すれば記事①と同じです。繰り返しになるので構造の説明は省略します。 ...

約1か月前のニュースをひっくり返して情報整理(ただし半ば)

まえおき 2022年4月4日の日経新聞に『月曜日のたわわ その4』の全面広告が掲載されました。4日後の2022年4月8日、ニュースサイトHuffpost日本版が『「月曜日のたわわ」全面広告を日経新聞が掲載。専門家が指摘する3つの問題点とは?』(以下、記事①)を掲載[1]。その1週間後の2022年4月15日、同じくHuffpost日本版『国連女性機関が『月曜日のたわわ』全面広告に抗議。「外の世界からの目を意識して」と日本事務所長』(以下、記事②)を掲載[2]。同日、UN Women 日本事務所公式Twitterが記事②を紹介[3, 4, 5]。またYahoo! ニュースにも掲載されましたが[6]、24時間をまたず削除[7]。2020年4月20日には山田太郎参議院議員がこれを「国連による看過できない外圧」としてYouTubeチャンネル「山田太郎のさんちゃんねる」で「【第492回】緊急特集!月曜日のたわわ国連女性機関、抗議問題緊急特集」を放送しました[8, 9]。 このエントリは私の目に触れた上記に関する情報の論理的な構造を整理するために書いています。その多くは日経新聞が広告を掲載したことの是非に関する意見なのですが、そこに対する私の意見はありません。 前後編の2本立ての目論見で、この1本目では記事①の構成を整理します。記事②以降は[8、9] はじめすでに整理された情報を発見できたので、後編に収まることを期待しています(まだ書いていません)。 ポジションとメタデータ 記事①の構成に入る前に、周辺を見回して記事のポジションを確認しておきます。まず日経新聞は日本最大手の経済新聞です。「月曜日のたわわその4」は講談社コミックで、小段者は最大手の出版社の1つ。記事を掲載したHuffpost日本版はネットメディアで、「アジェンダ設定型メディア」を標榜しています[10]。 続いて記事①のメタデータについて記載します。署名は金春喜[11]。内容は治部かすけ[12]へのインタビュー取材に基づくとされています。ここでの治部かすけの立場は「専門家」であり、「メディアが抱えるジェンダー問題に詳しい東京工業大の治部れんげ准教授」です。別の立場があり利益誘導している可能性が指摘されているため「ここでの」と限定しておきます。 構成上の要点は3つ 記事①の構造上の要点は次の3点です。一言で表すと、一人...

『図鑑を見ても名前がわからないのはなぜか?』の感想

『図鑑を見ても名前がわからないのはなぜか?: 生きものの“同定"でつまずく理由を考えてみる』を読みました。 図鑑を見ても名前がわからなかったことがあったので。それで無力感を覚えたりもしていたのですが、見ればわかるものというのは思い込みだと知れました。これだけでも読んでよかったと思っています。 しかし、もっとよかったことが2つ。 1つ目は「わかること」で世界が広がるのだと再確認できたこと。本書でも紹介されていた「解像度が上がる」という言い方が自分にはしっくりきます。漠然と眺めていた風景から「知っているもの」が浮かび上がってくるあの感覚です。大げさに喩えると、ゲームで操作を受け付けるオブジェクトが光っているあの状態。 2つ目は著者がシダを「わからないからわかる」に持っていったプロセスを追体験できたこと。途中、特徴を自分の言葉で特徴を書き出すのだけれど、そういう行為をすっかりサボるようになってしまったことに気づかされる。「~(語彙力」で終わるツイートが典型的。毎回でないにしろ、汎用的な定型句ではなくて語彙に積み上がる言葉も使うようにしないと。どんどん世界がぼやけていってしまいます。 ところで、図鑑とは関係ないのですが、ここ2年で解像度アップを実感できていることが1つだけ。DTMっぽいことを辛うじて続けらていて、音と音楽関連の言葉が、ほんの少しずつですが結びつくようになってきました。本書でも特徴を書き出したりスケッチ/線画を描いたりしているように、アウトプットしようとして初めて気が付くことがあるように思います。 いろんな人に読んでもらいたい(そして何でもいいのでアウトプットや同定に挑戦してみてほしい)のですが、難点というか人を選ぶ要素を挙げるとすれば同定の対象としてクモ・カ・ガ・ハエなどが扱われているところでしょうか(ちなみに著者の専門はハエトリクモだそうです)。

"Unlimited Love" - Red Hot Chili Peppers

Red Hot Chili Peppersの新アルバム"Unlimited Love"を聴いている。 2016年の"The Getaway"以来6年ぶり。本作では再びJohn Fruscianteがギターに復帰。その前に彼が参加した"Stadium Arcadium"から数えると、実に16年ぶり。プロデューサーもDanger Mouseから Rick Rubinに戻ったとのこと。 6. The Great Apesのギターなんてとてもらしい。でもアルバム全体を通して聴くと("Stadium Arcadium"のようには)ギターは目立たない。 RHCPから離れていた間のソロ作品、Trickfinger名義の作品、Black Knights (Hip Hopグループ)のプロデュースからの影響がそこかしこに見える。5. Poster Childなんかくぐもったスクラッチ音もあってヒップホップっぽい。 管楽器(3. Aquatic Mouth Dance) 、ピアノ(4. Not the One)など直近2アルバム(つまりそこでギターを務めたJ osh Klinghoffer)から受け継いだであろう要素も聴こえてくる(優しいバラードもここに含まれそうな気がするけれど、自分の記憶を当てにしてはいけない)。 ところが後半になるにつれ、さらに自由になっていく。 9. These Are the Daysではこんなロック鳴らすんだ! と驚いたし、11. Bastards of Lightではギターよりシンセが目立つし、13.はラップでいいよねこれ? 15. Let 'Em Cryはまた違ったリズムでダンサブル(語彙力)。 ラストの2曲、16. The Heavy Wingで"Stadium Arcadium"あるいはJohn Fruschianteソロの"The Empyrean"を彷彿とさせる広がりと盛り上がりを見せて、17. Tangeloではアコギで素朴に締め括られる。Beautiful。 参考 公式YouTubeチャンネルの "Unlimited Love" プレイリスト レッド・ホット・チリ・ペッパーズ、新作『アンリミテッド・...

『近代を彫刻/超克する』の感想

『近代を 彫刻/超克 ( ちょうこく ) する』を読みました。〈あいちトリエンナーレ〉で知った、小田原のどかさんの著書です。 〈あいちトリエンナーレ2019〉で作品と解説を見て/読んで以来、公道に存在する裸婦像を無視できなくなったのですが、同時に「なぜ公共性の場の萌えキャラには非難が集まることがあるのか?」を考えています。 最近だと 温泉娘プロジェクト が比較的大きな(自分のタイムライン上で普段はこの手の話題に触れない人が触れる程度には)話題になりました。このような批判は今に始まったことではなく2014年には碧志摩メグが三重県伊勢市から公認を取り消されています。美少女VTuberが登場する千葉県警の交通ルール啓発動画にも非難が集まり、 美少女VTuber「表現の自由」論争過熱 - ITmedia NEWS で取り上げられました。 一方で裸婦像にここまでの非難が集まったという話題は私の目に入ってきません。理由として、ありふれているがゆえのニュース性のなさが挙げられるとは思いますが、そもそもなぜ裸婦像が公共の場にありふれたのか? という疑問が残ります。 西洋美術史においては「裸」は「ヌード」と「ネイキッド」に大別され前者に芸術性を認めてきたようです。また、このうえで裸婦像は公共空間ではなく美術館などの屋内に展示されているとのこと。 美術史家ケネス・クラークは『ザ・ヌード』において、プラトンを起点に「裸」はnaked(はだか)とnude(裸体像)に大別されると述べた。古来、「理想的身体」は西洋美術史の主題とされてきた。「裸」はいかにして見られ、描かれるに足る対象となったのか。nudeとして「再構成された肉体のイメージ」は性的関心を含む「当惑」を誘引しないといクラークは言う。 しかしこの価値観は日本には定着していないようです。彫刻制作の場に身を置いている著者はこう述べています。 高校から彫刻制作を学び始めたわたしの実感とともに断言してしまいたい。この国において彫刻を学ぶことは、裸の女の像をうまくつくる技術を習得することに等しいと言っても過言ではない側面がある。そこでは、西洋における文脈や図像学的な解釈を学ぶことは留め置かれ、形態を模倣し再現することが重んじらられる。 この部分を読んで私が思い出したのは本屋のキャラクターイラスト関連コーナーでし...

#おもしろ同人誌バザール 大崎10で買った本

年の瀬も迫った本日12月30日、ふと思い立って(大掃除や動画編集をほっぽり出して) 「おもしろ同人誌バザール大崎10」 に行ってきました。これは、全年齢対象のみで情報系(及び評論系)同人誌がラインナップにあればOKというゆるやかな企画です。なお「サークル側で「これは情報系同人誌だ」という信念を持って頒布される分には、あまり細かい追及はいたしません」とのこと。 グッズ2点と本3冊をゲットしてきたので簡単にご紹介。 最初にお伺いしたいのは ついなちゃんのところ 。ボカロ界隈では先月末に発売したばかりの Synthesizer V (Std/AI) が話題ですが、『方相氏&追儺式ガイドブック』や『方相氏&追儺式年表』を頒布する方相氏&追儺式の研究者でもあります。寺社との交流も深く、12月18日に 紅冨台寺様 にて 第1回ついなちゃん祭り が開催されたばかり。 こちらではついなちゃんモチーフのカードホルダーとストラップをゲット。これを装備して第2回ついなちゃん祭りには参加する意気込み。第2回からは夏に開催される予定なのであっという間な気がします。ともあれ、たくさん遊んでもらっているのでご挨拶できてよかったよかった。ちなみにガイドブック二〇二〇年度版と年表第一版は所有しているので次版に期待中。 というわけで最初に紹介する本は 音食紀行様 の『音食紀行 総集編 vol.III シャーロックホームズ』。カジュアルなシャーロキアン(ホームズファン)なので、原典の食事シーンと合わせて写真やレシピ、食レポが見られるのが楽しいです。パラパラと眺めていると 『シャーロック・ホームズとお食事を―ベイカー街クックブック』 を参考に作られているご様子。イギリスは飯マズというステレオタイプがありますが、なかなかどうして好評だったメニューもあるので試してみたいところ。 2冊目は ささつゆ様 の『みりんの飲み方 総集編』。今年の頭あたりに、フォロワーさんがみりんを飲んでいたのを見て、 みりんと炭酸水でコーラの味に? 17種のみりんを飲み比べたレビュー本で新たな扉が開けそう:司書メイドの同人誌レビューノート を読んでみて、自分でも「三州三河みりん」を飲んでみたりしていたのですが、今や紹介されているみりんは倍の34種類。レシピやみりんを使ったお菓子の紹介もあれば、碧南みりん旅...

『Everyday Life:わたしはうまれなおしている』の感想

東京都美術館で 『Everyday Life:わたしはうまれなおしている』 を見てきました。見に行ったというよりふっと惹かれて入った、という方が近いかもしれません(ダメもとで事前予約なしで『ゴッホ展』に向かったら、ダメでした)。 展示されていたのは6人の女性作家による作品。作品形態は、絵画、写真、ガラス作品、織物とさまざま。制作年代も戦前・戦後に活躍されてもう亡くなってしまった方の作品もあれば現役の方が今年製作された作品もありと幅広。女性作家に対する視線、女性で作家であることの在り方に思いを馳せなくもないです。環境・バックグラウンド、製作のきっかけ、作品。自分がこれらのつながりを考えるようになったのはごく最近のように思います。 それはそれとして、貴田洋子さんという方の、津軽こぎん刺しによる作品がもうとても印象的で。人手により作られたパターンライクなテクスチャーに弱いので、近くで遠くでずっと眺めていられます。このツイートで紹介されている《津軽・歓びの春》では、水面に映る空と桜が曲線とグラデーションで表現されているのがおもしろいです。 「Everyday Life : わたしは生まれなおしている」展 作家紹介②  【 #貴田洋子 】1949- 青森・大鰐町に生まれ、独学で身につけた津軽こぎん刺しの伝統模様や運針規則を厳格に守りながらも、独自の手法で表現のあらたな可能性を追い求めています。 #東京都美術館 https://t.co/1m0wJPMsJR pic.twitter.com/yHuvZXG1Rd — 東京都美術館 (@tobikan_jp) October 22, 2021 解説で伝統模様や刺し方(奇数律)を守りながら制作されていることを知り、ドット絵あるいはドット絵のステッチやアイロンビーズでの再現を連想しました。このあたりに自分の好きな作品の共通項があるのかもしない、そんなことを思いつつ。 pic.twitter.com/Pm6d1uU0Xy — 鏡双司 (@SO_C) November 23, 2021 (自分が撮った写真を見ても、幾何学的な構成を好んでいることが伺えるよなあ)

『阿・吽』 一~十二巻を読んだ感想

ついなちゃんに薦められて、マンガ『阿・吽』の一~十二巻を一気読み。天台宗開祖の最澄と真言宗開祖の空海を描く歴史ロマン、でいいのかな。 そーいえば最近、おかざき真里先生の『阿・吽』読んでるんやけど、これも面白いね……💓ξ😊ξ ウチ、お坊さんの中では最澄はんが一番好きなんやけど、ウチのイメージ通りの最澄はんやった………❣ 出典: @Tuina_chan_PJ 午後7:56 · 2021年2月16日 マンガワンで2月19日までの限定公開だと知ったのが2月17日。そこからチケット購入も駆使して3日で読み切りました。急く気持ちや疲労に流されて読み飛ばしたりはしたくない。終始そういう気持ちがあったので、1ページ1ページをいつめくるか決断の連続でした。もしかしたら渡唐して経典を読み耽る最澄もこんな気持ちだったのかもしれません(恐れ多い)。 その最澄ですが、坂上田村麻呂から「貴殿に欠けはないのか?」と問われ「“欠け”があるので仏の道におります。」と答えます。若き空海(そのときの名は真魚)は三論宗の僧・勤操へと赴き「我を満たせ!」と叫びました。“欠け”が満ちるとはどういうことか? “欠け”に嵌らないものが幾らあろうと満ちることはありません。一方で嵌る“欠け”を知っているということは、“満ちた”形を知っていることで、それは最早“満たされている”ということでは? などと抽象的なことを思ったりします。 具体的には、十三集をいつどうやって読もうか? ここから買い始めるのも気持ち悪いし。もうこれで読み終わっているということにしてはいいのではないか? というしょうもない悩みなのですが。 2021/02/25 22:00までなら (一) 、 (二) 、 (三) がKindle無料お試し版で読めるのでぜひ。

『裏世界ピクニック5 八尺様リバイバル』の感想

『裏世界ピクニック5 八尺様リバイバル』を読んだので簡単に感想を。 2021年1月から始まったアニメも見ていると、どちらもより楽しめる1冊でした。 短篇5つの構成のうち、表題にもなっている「八尺様リバイバル」が象徴的。これがシリーズ第2話「八尺様サバイバル」の続きの話だし、他の話も空魚が二人の関係だったり自分を見直したりしていて、全体として新しい関係ができていく流れで、百合成分増量巻。 ホラーテイストがお気に入りの一篇は「ファイル18 マヨイガにふたりきり」。日常が裏世界に侵食してくる話はこれまでなんどもあったけれど、まさかこういうケースもあるとは。

『言語学講義――その起源と未来』の感想

『言語学講義――その起源と未来』を読みました 一見ランダムなやり方でとり上げることで、「言語学の今」を浮かび上がらせてみたいと考えている。 とあるけれど、言語学の予備知識がほぼゼロなのでその試みがうまくいっているかどうか、なんもわからん。 でも、楽しめました。例外は最後の第5章。著者の専門領域の話らしくさっぱり。ソシュールの『一般言語学講義』成立の経緯はおもしろかった。本人が書いたのではなく、生徒が講義を復元したらしい。あと、ジャック・デリダの『グラマトロジーについて』の中でのソシュールを批判したとあったところで、内容が気になったくらい。 以下、枝葉ばかりだけれど感想を。 「包括形」と「除外形」 2人称を含めるのが「包括形」。含めないのが「除外形」。日本語では区別なく「私たち」と表記される。「私たちは人間としてみな平等だ」というのは包括形で、「私たちは君たちを助けたい」は除外形。ここが気になったのは、ニコ生で「私たちはそう考えますが、みなさんはどうですか?」というような言葉を聞いたばかりだったので。おかげでこの言葉に違和感があった理由がわかった。ニコ生で「私たち」と言われたら、自分は包括形を想定するらしい。対称ではないけれどテレビより双方向性があるからだろう。 言葉の「正しさ」 国語教育の一部として指針が必要だとは思うけれど、想定する受け手に伝わればいいとも思っているので、外野から正誤を押しつけるのに意味はない。と頭では思うのだけれど、つい指摘したくなる気持ちが湧くこともある。そこで一拍おいて飲み込めるようにしたい。反射的に言ってしまうこともあるのだけれど、〈物語〉シリーズの阿良々暦が言っていたことを思い出す。言いたいことと言うべきことは違う、みたいな。思い出すというには曖昧過ぎるか。 [m], [n], [ŋ] 「ん」の話。[m], [n]の区別はつくけれど、[ŋ]はだいぶ怪しい。ま行の音が続くときの口を閉じる「ん」が[m]で、口を開けたまま言える「ん」が[n]。「感激」などが行に続くときの音、らしい。らしいというのも衰退していて、おそらく自分も普段使っていなくて自信が持てないから。どれくらい衰退しているかというと、1940年時点で都区部の15歳の学生を対象に調べたら、鼻濁音があったのは約半分だったらしい。東北方言だと「烏賊」は[iga...