『図鑑を見ても名前がわからないのはなぜか?: 生きものの“同定"でつまずく理由を考えてみる』を読みました。
図鑑を見ても名前がわからなかったことがあったので。それで無力感を覚えたりもしていたのですが、見ればわかるものというのは思い込みだと知れました。これだけでも読んでよかったと思っています。
しかし、もっとよかったことが2つ。
1つ目は「わかること」で世界が広がるのだと再確認できたこと。本書でも紹介されていた「解像度が上がる」という言い方が自分にはしっくりきます。漠然と眺めていた風景から「知っているもの」が浮かび上がってくるあの感覚です。大げさに喩えると、ゲームで操作を受け付けるオブジェクトが光っているあの状態。
2つ目は著者がシダを「わからないからわかる」に持っていったプロセスを追体験できたこと。途中、特徴を自分の言葉で特徴を書き出すのだけれど、そういう行為をすっかりサボるようになってしまったことに気づかされる。「~(語彙力」で終わるツイートが典型的。毎回でないにしろ、汎用的な定型句ではなくて語彙に積み上がる言葉も使うようにしないと。どんどん世界がぼやけていってしまいます。
ところで、図鑑とは関係ないのですが、ここ2年で解像度アップを実感できていることが1つだけ。DTMっぽいことを辛うじて続けらていて、音と音楽関連の言葉が、ほんの少しずつですが結びつくようになってきました。本書でも特徴を書き出したりスケッチ/線画を描いたりしているように、アウトプットしようとして初めて気が付くことがあるように思います。
いろんな人に読んでもらいたい(そして何でもいいのでアウトプットや同定に挑戦してみてほしい)のですが、難点というか人を選ぶ要素を挙げるとすれば同定の対象としてクモ・カ・ガ・ハエなどが扱われているところでしょうか(ちなみに著者の専門はハエトリクモだそうです)。