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ワイヤレス - イップマン 序章、 葉問、 継承

『イップマン 序章』、『〃 葉問』、『〃 継承』の3本を見た。ドニー・イェン主演のカンフー映画。実在の武術家・葉問を演じている。

緊張感をもって見られたのは序章。これが一番よかった。日中戦争が絡んでいるので、複雑かつ重たい気持ちにはなるが。

葉問は、最後の戦いがスッキリしない。相手のボクサーはただ凶暴なだけだし、周囲も彼が不利と見るやイップマンに制約を課す始末。

継承はやや話が渋滞気味だった印象。地上げ屋、ボクシングの名誉回復、よく似た境遇の男との戦い。そして、イップマンにとっての武術――詠春拳と家族。

と脚本に好みの差はあれど、どの作品のアクションシーンも見応え十分。それを目当てに見たわけで、そういう基準ではどれもよかった。CGやワイヤーではないアクションを見たかったので満足(ゼロではなかったけれど)。

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