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ワンダフル・ライフ - 虚ろなる十月の夜に

『虚ろなる十月の夜に』を読んだ。

濃い作品だった。原著が出版されたのが1993年とは信じられない (邦訳が出たのは去年だけれど)。

作中では明言されないけれど、切り裂きジャックやドラキュラ、ホームズなど多くの有名キャラクタが登場する。古くは2003年の映画『リーグオブレジェンド/時空を超えた戦い』、最近だと〈Fate〉シリーズを彷彿とさせる。

彼らが二つの陣営――〈閉じる物 (クローザー) 〉と〈開く物 (オープナー) 〉に分かれて、クトゥルフ神話の旧神にまつわるゲームで争う様子が描かれる。しかも、誰がどちらの陣営かはおろか、そもそもゲームの参加者なのかどうかすら分からないというスリリングなシチュエーション。

そして、主役を張るのは切り裂きジャック――ではなくてその使い魔 (コンパニオン) の犬。コミュニケーション相手も基本的に他のプレイヤーの使い魔。つまり動物。

最後の語り手が動物というのが効いていた。これらの有名キャラクタに言及しなかったり、人間とは違って恐怖しなくても、違和感がない。

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北へ - ゴールデンカムイ 16

『ゴールデンカムイ 15』、『〃 16』を読んだ。16巻を読み始めてから、15巻を買ったものの読んでいなかったことに気がつく。Kindle版の予約注文ではままあること。 15巻は「スチェンカ・ナ・スチェンク」、「バーニャ(ロシア式蒸し風呂)」と男臭いことこのうえなし。軽くWebで調べてみたところ、スチェンカ・ナ・スチェンク (Стенка на стенку) はロシアの祭事マースレニツァで行われる行事のようだ[1]。それなりになじみ深いものらしく、この行事をタイトルに据えたフォークメタルStenka Na StenkuのMVが見つかった。 16巻では杉元一行は巡業中のサーカスに参加することになる。杉元と鯉登の維持の張り合いが、見ていて微笑ましい。鯉登は目的を見失っているようだが、杉元もスチェンカで我を失っていたので、どっこいどっこいか。なお、サーカス/大道芸を通じた日露のつながりは、実際にもこのような形だったようだ[2]。 個々のエピソードから視線を上げて、全体の構図を眺めてみると、各勢力がすっかり入り乱れている。アシㇼパは尾形、キロランケ、白石とともにアチャの足跡を辿り、そのあとを鶴見のもとで家永の治療を受けた杉元が鯉登、月島を追っている。今更だけれど、杉元やアシㇼパは、第七師団と完全に利害が衝突していると考えていないはずだった。一方で、土方一味も入墨人皮を継続。むしろ彼らの方が第七師団との対立が深刻だろう。さらに北上するキロランケはまた別の目的で動いているようだけれど、なんで尾形も一緒なんだっけ? 『進撃の巨人』に引き続き、これもそろそろ読み返す時期か。 [1] 5つの暴力的な伝統:スラヴ戦士のようにマースレニツァを祝おう - ロシア・ビヨンド [2] ボリショイサーカスの源流は、ロシアに渡った幕末日本の大道芸人たちにあった 脈々と息づく「クールジャパン」 | ハフポスト

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