スキップしてメイン コンテンツに移動

ラダー・ラバー・ダバー - シルトの梯子

『シルトの梯子』を読んだ。

(例のごとく)わからないことだらけだったけれど、グレッグ・イーガン作品の醍醐味に満ち溢れていたんじゃないだろうか。

まず、一文目からぶっ飛んでいる。
はじめにグラフありき、グラファイトよりはダイヤモンドに似たものが。
ここでいう〈グラフ〉は、棒グラフや折線グラフのグラフではない。宇宙を構成する素粒子だ (と思う)。真空さえも、無数のグラフの重ね合わせでできているそうなので。
恒星間空間のほぼ真空の領域でさえ、それがほぼユークリッド的な幾何学であるのは、その領域が無数のグラフ――各々が仮想粒子で満ちている――の精巧な重ね合わせであるという事実に依存している。

その〈真空〉がこの物語の鍵。はじまりは、作中の物理法則〈サルンペト則〉に基づいた実験。内容は、異なる時空を構成するグラフ――新真空を作り出すというもの。新真空の生成には成功するものの、六兆分の一秒で消滅するはずのそれは、逆に真空を侵食しながら光速度の半分の速さで広がり始めてしまう(と書いてはみたものの、どんな感じなんだろう。反物質で世界が置き換わっていくみたいなイメージ?)。

物語は、この新真空にどう対処するかを巡って繰り広げられる。こうやって整理すると、大筋では災害パニックものみたいだ。けれど、新真空をどうにかしようという防御派だけでなく、人類が新真空に適応しようという譲渡派も出てくるのは、さすがグレッグ・イーガンだと思う。特にその理由。

今、さらっと〈人類〉と書いたけれど、これもまた曲者。この世界では、実体化せず情報生命体として生きている人類は珍しくない。もちろん、宇宙を移動するためなど必要に応じて非実体化するけれど、基本的には実体化して生きる人類もいる。それから、それらの技術を受け入れない古代宇宙飛行士 (アナクロノート) と呼ばれる人もいるけれど、物語で大きな役割を果たすのは最初の2つの人類。

譲渡派と防御派に分かれた主人公とその幼なじみとか、抽象的にとらえると王道的なのだけれど、人類の在り方が今と違い過ぎるので会話についていくだけでも、非常にハードでスリリング。そこで議論が交わされる、生とか死とか性とか知とか自己同一性も、グレッグ・イーガン作品に通底するテーマだ。

導入だけでお腹一杯どころではないのだけれど、物語が進み、新真空への対処の糸口が見えてくる中盤あたりから、ますます急速に分からなくなっていく。終盤は何かもう突き抜けていて頭がグワングワン揺さぶられて、脳汁ダバーってなる。この異様に緻密な訳の分からなさが癖になる。

他の人はどうだったんだろうか? と感想などを読むと、自分の誤解や見落としに気付いておもしろい。それから、違う視点も。

初読で押さえた内容と他の人の視点を踏まえて、落ち着いたら読み返そう。

このブログの人気の投稿

北へ - ゴールデンカムイ 16

『ゴールデンカムイ 15』、『〃 16』を読んだ。16巻を読み始めてから、15巻を買ったものの読んでいなかったことに気がつく。Kindle版の予約注文ではままあること。 15巻は「スチェンカ・ナ・スチェンク」、「バーニャ(ロシア式蒸し風呂)」と男臭いことこのうえなし。軽くWebで調べてみたところ、スチェンカ・ナ・スチェンク (Стенка на стенку) はロシアの祭事マースレニツァで行われる行事のようだ[1]。それなりになじみ深いものらしく、この行事をタイトルに据えたフォークメタルStenka Na StenkuのMVが見つかった。 16巻では杉元一行は巡業中のサーカスに参加することになる。杉元と鯉登の維持の張り合いが、見ていて微笑ましい。鯉登は目的を見失っているようだが、杉元もスチェンカで我を失っていたので、どっこいどっこいか。なお、サーカス/大道芸を通じた日露のつながりは、実際にもこのような形だったようだ[2]。 個々のエピソードから視線を上げて、全体の構図を眺めてみると、各勢力がすっかり入り乱れている。アシㇼパは尾形、キロランケ、白石とともにアチャの足跡を辿り、そのあとを鶴見のもとで家永の治療を受けた杉元が鯉登、月島を追っている。今更だけれど、杉元やアシㇼパは、第七師団と完全に利害が衝突していると考えていないはずだった。一方で、土方一味も入墨人皮を継続。むしろ彼らの方が第七師団との対立が深刻だろう。さらに北上するキロランケはまた別の目的で動いているようだけれど、なんで尾形も一緒なんだっけ? 『進撃の巨人』に引き続き、これもそろそろ読み返す時期か。 [1] 5つの暴力的な伝統:スラヴ戦士のようにマースレニツァを祝おう - ロシア・ビヨンド [2] ボリショイサーカスの源流は、ロシアに渡った幕末日本の大道芸人たちにあった 脈々と息づく「クールジャパン」 | ハフポスト

戦う泡沫 - 終末なにしてますか? もう一度だけ、会えますか? #06, #07

『終末なにしてますか? もう一度だけ、会えますか?』の#06, #07を読んだ。 『終末なにしてますか? もう一度だけ、会えますか?』の#06と#07を読んだ。#06でフェオドールの物語がひとまずは決着して、#07から第二部開始といったところ。 これまでの彼の戦いが通過点のように見えてしまったのがちょっと悲しい。もしも#07がシリーズ3作目の#01になっていたら、もう少し違って見えたかもしれない。物語の外にある枠組みが与える影響は、決して小さくない。 一方で純粋に物語に抱く感情なんてあるんだろうか? とも思う。浮かび上がる感情には周辺情報が引き起こす雑念が内包されていて、やがて損なわれてしまうことになっているのかもしれない。黄金妖精 (レプラカーン) の人格が前世のそれに侵食されていくように。

リアル・シリアル・ソシアル - アイム・ノット・シリアルキラー

『アイム・ノット・シリアルキラー』(原題 "I Am Not a Serial Killer")を見た。 いい意味で期待を裏切ってくれて、悪くなかった。最初はちょっと反応に困るったけれど、それも含めて嫌いじゃない。傑作・良作の類いではないだろうけれど、主人公ジョンに味がある。 この期待の裏切り方に腹を立てる人もいるだろう。でも、万人受けするつもりがない作品が出てくるのって、豊かでいいよね(受け付けないときは本当に受け付けないけれど)。何が出てくるかわからない楽しみがある。