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知識と致死 - 怖い絵展

上野の森美術館に行って、『怖い絵展』を観てきた。

書籍『恐い絵』発行から10周年を記念しての開催というわけで、著者が監修に参加している。

開催に寄せた言葉によると、絵の鑑賞に背景知識は不要という考え方へのアンチテーゼとして企画したらしい。つまり、背景知識がある方が、より楽しめるという話。『珈琲の世界史』の「はじめに」でも同じようなことが書かれていたっけ。
歴史を知っているのと知らないのとでは、コーヒーのおいしさの感じ方が違ってくるのです!
引用元: コーヒーはいつから「ウンチク」を語りたくなる飲み物になったのか(旦部 幸博) | 現代ビジネス | 講談社(1/3)

話を戻すと、「知識があると楽しめる」のはその通りだと思いつつ、その考えは「知識がないと楽しめない」に転じかねない。そうならないよう気をつけたい。あまり考えすぎると、感覚がマスクされる。味覚の場合、ジャムの味について考え過ぎるとかえってわからなくなるという話が、『錯覚の科学』であった。そうでなくても、「知識がないと楽しめない」と思う人が増えると、「初心者お断りの空気」ができあがって、間口が狭くなってしまう。

最初は知識がない状態からスタートするのだから、そこに引け目を感じる必要はなく楽しめばいいのだけれど、かといって何も知ろうとしないままでは広がりがない。そういう話か。

実際、ほとんど知識がなくても魅入られるときは魅入られる。本展の目玉『レディ・ジェーン・グレイの処刑』がまさにそうだった。人の列から離れてしばらく眺め続けてしまった。そこから解説を読んで、さらに想像を膨らませたりもするのだけれど、それはその後の話で、どちらの状態がよりよいということもないだろう。

ちなみに当日の感想ツイートはこちら。ここ数日タイムラインでストロングゼロの話題を見かけて、『ビール街』と『ジン横町』の絵のことをまたぞろ思い出す。

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