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監視 Can see - 動物農場

動物農場 (角川文庫)『動物農場』を読んだ。『1984年』のジョージ・オーウェルの短篇集。

表題作『動物農場』では、家畜達が農場から人間を追いやって共同体を作るも、人間に支配されていたときと変わらない(終いにはさらに酷い)事態に陥っていく様が描かれている。

そんな皮肉なことになった理由は、リーダーが権力に溺れたことだろう。次第に敵視していた人間のような存在に成り果てていく。最後には、動物を人間に売るようなマネまでする。

上に立つと権力に溺れるということか。権力は人を変えるだろうし、上に立つのは権力志向の人だろうし。

歯止めが必要だろうなぁ。

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