『アッチェレランド』を読んだ。タイトル(音楽用語で「だんだん速く」の意味)通り、作中の技術進歩はどんどん加速していく。一歩で、主題は古くからのそれをリフレインしているように見える。
大雑把にまとめると、ポストヒューマン時代の家族を描いた物語として写った。SF世界での家族関係を描いているという点で『ゼンデギ』と通底するものがある。
通底するものはありつつも、両者のタイムスケールには大きな開きがある。『ゼンデギ』では、息子のため、不完全なことを承知で父親の意識を仮想世界にアップロードしようとする刹那を描いている一方で、本書では意識の仮想世界へのアップロードは愚か現実世界へのダウンロードさえ可能になっている。
この違いがもたらすものは大きい。たとえば、アップロードされた意識と肉体(とそこに残っている意識)の方が残した子供との関係なんて、控え目に考えてギクシャクしないわけがない(ついでに大量の負債まで残っている)。
それでもドロドロした印象は受けない。加速度ゆえだろう。粘性をぶっちぎってくれる。
という縦糸が通ってはいるものの、横糸=加速度的に進化した技術のものでの社会の描写の密度の濃いこと。こちらが本丸ではないか、という気さえする。ギャップが大き過ぎて、ひとつの物語として編まれているのが信じられないくらい。
凄まじいものを読んだ。
大雑把にまとめると、ポストヒューマン時代の家族を描いた物語として写った。SF世界での家族関係を描いているという点で『ゼンデギ』と通底するものがある。
通底するものはありつつも、両者のタイムスケールには大きな開きがある。『ゼンデギ』では、息子のため、不完全なことを承知で父親の意識を仮想世界にアップロードしようとする刹那を描いている一方で、本書では意識の仮想世界へのアップロードは愚か現実世界へのダウンロードさえ可能になっている。
この違いがもたらすものは大きい。たとえば、アップロードされた意識と肉体(とそこに残っている意識)の方が残した子供との関係なんて、控え目に考えてギクシャクしないわけがない(ついでに大量の負債まで残っている)。
それでもドロドロした印象は受けない。加速度ゆえだろう。粘性をぶっちぎってくれる。
という縦糸が通ってはいるものの、横糸=加速度的に進化した技術のものでの社会の描写の密度の濃いこと。こちらが本丸ではないか、という気さえする。ギャップが大き過ぎて、ひとつの物語として編まれているのが信じられないくらい。
凄まじいものを読んだ。