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相容れない - イレーナの帰還

イレーナの帰還 (ハーパーBOOKS)『イレーナの帰還』を読んだ。スタディ三部作の二作目。本書の原題は"Magic Study"。

前作『毒味師イレーナ』冒頭では人間不信だったイレーナも、二作目までくると信頼に足る相手を見つけていく。そのわりには相変わらず一人で無茶もする。おかげで不安をぬぐい去りきれない。

とは言え、前作よりはよほど安心して見ていられる。ちょっとスリルが薄れてしまったのが残念。

タイトルから想像できるように、イレーナが生まれ故郷へと帰還する。無事に帰れてめでたしめでたしと安易な結末なんてならないところがいい。

それにしても、イレーナがどんどん出世していく。前作では死刑囚から毒味師となり、辛うじて一命を取り留めた。それが、本作の最後では公的な役割を得るに至る。これでついに表舞台で大活躍か。

最終巻 (原題 "Fire Study") が楽しみだ。

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