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わずかながら有害? - ほとんど無害

ほとんど無害 (河出文庫)『ほとんど無害』を読んだ。これにてダグラス・アダムスに書いた〈銀河ヒッチハイク・ガイド〉シリーズは終わり[1]

面白かった。面白かったんだけれど、読んでいてどこか違和感が拭いきれなかったし、読後感も期待していたものとは全然違った。

違和感があったのは、空気が終始張り詰めていたからだと思う。デントとランダムとの関係しかり。フォードと『ガイド』との関係しかり。これまで、ほとんど何もかもをシニカルに笑い飛ばしてきていたのに、この巻ではその冷笑の裏に悲哀さえ感じられる。

結末も余りと言えば余りだった。悲哀を通り越して絶望に届きそう。叶うなら、「訳者あとがき」に概要が書いてあった、ラジオ放送の際に追加されたBBCオリジナルのエピローグ込みで読みたかった。時間逆行工作 (テンポラル・リバース・エンジニアリング) でどうにかならないかしらん。

でも、この乱暴で投げやりで唐突な結末も、らしいと言えばらしいようにも思っていたりもする。不思議な魅力と言えば魅力なのかな。

[1] 別の作者が公式の続編『新 銀河ヒッチハイク・ガイド』を書いている。

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『ゴールデンカムイ 15』、『〃 16』を読んだ。16巻を読み始めてから、15巻を買ったものの読んでいなかったことに気がつく。Kindle版の予約注文ではままあること。 15巻は「スチェンカ・ナ・スチェンク」、「バーニャ(ロシア式蒸し風呂)」と男臭いことこのうえなし。軽くWebで調べてみたところ、スチェンカ・ナ・スチェンク (Стенка на стенку) はロシアの祭事マースレニツァで行われる行事のようだ[1]。それなりになじみ深いものらしく、この行事をタイトルに据えたフォークメタルStenka Na StenkuのMVが見つかった。 16巻では杉元一行は巡業中のサーカスに参加することになる。杉元と鯉登の維持の張り合いが、見ていて微笑ましい。鯉登は目的を見失っているようだが、杉元もスチェンカで我を失っていたので、どっこいどっこいか。なお、サーカス/大道芸を通じた日露のつながりは、実際にもこのような形だったようだ[2]。 個々のエピソードから視線を上げて、全体の構図を眺めてみると、各勢力がすっかり入り乱れている。アシㇼパは尾形、キロランケ、白石とともにアチャの足跡を辿り、そのあとを鶴見のもとで家永の治療を受けた杉元が鯉登、月島を追っている。今更だけれど、杉元やアシㇼパは、第七師団と完全に利害が衝突していると考えていないはずだった。一方で、土方一味も入墨人皮を継続。むしろ彼らの方が第七師団との対立が深刻だろう。さらに北上するキロランケはまた別の目的で動いているようだけれど、なんで尾形も一緒なんだっけ? 『進撃の巨人』に引き続き、これもそろそろ読み返す時期か。 [1] 5つの暴力的な伝統:スラヴ戦士のようにマースレニツァを祝おう - ロシア・ビヨンド [2] ボリショイサーカスの源流は、ロシアに渡った幕末日本の大道芸人たちにあった 脈々と息づく「クールジャパン」 | ハフポスト

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