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Impressive - 第18回文化庁メディア芸術祭

国立新美術館に行って『第18回文化庁メディア芸術祭』を見てきた。

目当てはIngressの展示。限定ポータル〈啓示の夜のパワーキューブ〉のPortal Key。Capsuleを利用してちゃっかり2ついただいてきた。

他に何があるかは下調べせずに行ったのだけれど、他の展示も楽しめた。

まず、入ってすぐのところに展示されている〈センシング・ストリームズ〉が目に飛び込んできた。綺麗。マイクで拾った電磁波を周波数に基づいて可視化しているらしい。『ミッション[宇宙×芸術]-コスモロジーを超えて』で展示されていた宇宙線の可視化[1]を連想する。あと、ゲームの『電波人間のRPG』。身の回りのありふれた技術を別の形で可視化しているという捉え方をすれば、古くはバーコードバトラーか。

しばらく進むと見えてくる、3本足のアシナガグモのようなオブジェ〈Nyoloid〉が動くのもハラハラした。動きが激しくて、壊れないか心配になる。しばらく眺めていたら、生き物みたいに見えてきたのが不思議。力尽きたように崩れ落ちた時なんか、「あ、死んだ」なんて思った。「あ、壊れた」ではなくて。何がそう感じさせたんだろう?

一番関心を惹いたのは、〈これは映画ではないらしい〉[2]。コマがない動画を撮影・再生する試み。録画したフィルムと映像が全然一致しないのが面白い。

昼から出かけてゆっくり(Ingressしながら)回ったら、日が暮れたので買い物して帰宅。六本木はクリスマスかと思うくらいイルミネーションでキラキラしていた。
[1] 逢坂卓郎という方の『Fullness of Emptiness Integral』というタイトルの作品だった。同じ展覧会に出展したRedbullのサイトに写真付きの紹介がある。
[2]『これは映画ではない』というタイトルの映画とは関係ない。

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