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ポートフォリオの檻

最底辺のポートフォリオ ――1日2ドルで暮らすということ『最底辺のポートフォリオ ――1日2ドルで暮らすということ』を読んだ。

この本は、バングラデシュやインドなどの貧困層を〈ファイナンシャル・ダイアリー〉を使って調査した結果の報告。〈ファイナンシャル・ダイアリー〉は筆者らが自分たちの調査アプローチにつけた名前。アンケートによる低頻度の一斉調査とエスノグラフィーによる継続的な個別調査の、中間的な特徴を持つことになる。最大の特徴は、多数の世帯(家計単位)のキャッシュフローを明らかにしているところ。

調査によると、貧困層のお金に関する三重苦は次の3つ。少額であることは認識していたけれど、2つ目と3つ目は抜け落ちていた。予測不可能だから、急な出費に耐えられない。つまり、キャッシュフローが脆い。でも、フォーマルな金融サービスを受けられないから、インフォーマルな形でお金をかき集めることになる。
  1. 少額
  2. 予測不可能
  3. フォーマルな金融サービスの利用困難
貧困層だからといって、その日暮らしをしているわけじゃなくて、お金を借りることもあれば貸すことも、それから貯蓄することもある。その行動は非貧困層とあまり変わらないように思う。ただ、長期的な計画が組みにくい分、短期的に貸し借りは解消されるため、年利のような尺度で測ると見誤る。

3つ目の解消を目指した、マイクロクレジットの話も、グラミン銀行の話も出てくる。創始者が語る『貧困のない世界を創る』などと違って、〈ファイナンシャル・ダイアリー〉によって想定とは違った使われ方をしたりと、思わぬ問題が描かれているところが面白い。このアプローチだからこそ、こうして明るみに出てきた問題だと思う。

この本の面白いところは、「1日2ドル」というような平均に基づいたものの見方をしていると、解決すべき問題を見落とす点だと思う。黒字倒産なんて言葉もあるけれど、長期的には黒字になるはずなんだけれど、収入が予測不可能で金融サービスを受けられないと、ショートしてどうにもならなくなる。

こういう見方は、スケジュールにも通じるように思う。も平均きっちりで遊びを持たせないでいると、どこかで遅れたときに影響が波及して回復できなくなる。

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