『コーチング入門』を読んだ。
『「ほめる」技術』(感想)に引き続き、コーチングに関する本。
『「ほめる」技術』に比べると、本書の方が薄く広い。
例えば、 『「ほめる」技術』が1冊を費やしていたアクノリッジメントは、本書では「5 承認のスキル」に圧縮している。承認の他に、傾聴や質問について各1章を割いている。
こうして2冊を続けて読んで、コーチングの基本姿勢は相手の存在を認めること、認めていることを伝えることなんだな、と思った。
人間は存在を認められている状態の方が安心して力を発揮できる、という前提に立ち、相手が認められていると自覚できるようなメッセージを伝えている技術が、コーチング・スキルということなのだろう。
ところで、この前提は万人に当てはまるのだろうか。
当てはまらない人間は、何で動くのだろうか。
例えば、中島義道の著作のどれか(多分、『カントの人間学』)で、存在を認識されず観察者に徹したいという人間について書いていた。
自分はその気があるので、内省してみて思ったのだけれど、何となく、そういう人間は、自分が動く理由を自覚できない(あるいはしない)ように、シールドしている気がする。
それにシールドが取れたら取れたで、その理由では動かなくなりそう。
『「ほめる」技術』(感想)に引き続き、コーチングに関する本。
『「ほめる」技術』に比べると、本書の方が薄く広い。
例えば、 『「ほめる」技術』が1冊を費やしていたアクノリッジメントは、本書では「5 承認のスキル」に圧縮している。承認の他に、傾聴や質問について各1章を割いている。
こうして2冊を続けて読んで、コーチングの基本姿勢は相手の存在を認めること、認めていることを伝えることなんだな、と思った。
人間は存在を認められている状態の方が安心して力を発揮できる、という前提に立ち、相手が認められていると自覚できるようなメッセージを伝えている技術が、コーチング・スキルということなのだろう。
ところで、この前提は万人に当てはまるのだろうか。
当てはまらない人間は、何で動くのだろうか。
例えば、中島義道の著作のどれか(多分、『カントの人間学』)で、存在を認識されず観察者に徹したいという人間について書いていた。
自分はその気があるので、内省してみて思ったのだけれど、何となく、そういう人間は、自分が動く理由を自覚できない(あるいはしない)ように、シールドしている気がする。
それにシールドが取れたら取れたで、その理由では動かなくなりそう。