『思考の整理学』を読んだ。
きっかけは「考える癖をつけて下さい」と言われたこと。
試しに考えてみようと思ったところ、ふと「考えるって何だ?」という疑問に突き当たり、本書を手に取った。
思い返してみると、「考えている」を意識したという記憶がない。
もしかしたら「意識する」のは「考える」自分なのではないか、と思う。
同じ自分が行うことなので、同時にはできない。
もちろん考えたことがないというわけではない。
「考えている」を意識した記憶がないだけで「考えた」記憶はある。
むしろ考えても詮無いことを考え続けて嫌になることがある。
きっと、「考える対象」が期待されているものと違うのだろうな、と思う。
だから、何について考えるか、について意識的になることが必要なのだろう。
考えているつもりで、全然考えられていないという可能性も残っているけれど。
きっかけは「考える癖をつけて下さい」と言われたこと。
試しに考えてみようと思ったところ、ふと「考えるって何だ?」という疑問に突き当たり、本書を手に取った。
思い返してみると、「考えている」を意識したという記憶がない。
もしかしたら「意識する」のは「考える」自分なのではないか、と思う。
同じ自分が行うことなので、同時にはできない。
もちろん考えたことがないというわけではない。
「考えている」を意識した記憶がないだけで「考えた」記憶はある。
むしろ考えても詮無いことを考え続けて嫌になることがある。
きっと、「考える対象」が期待されているものと違うのだろうな、と思う。
だから、何について考えるか、について意識的になることが必要なのだろう。
考えているつもりで、全然考えられていないという可能性も残っているけれど。