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身を切り見切る

『コーチングのプロが教える決断の法則「これをやる!」』を読んだ。

本書は、決断し行動することの重要性を繰り返し訴えている。
ハウツー本を読むだけではない意味がないと述べるメタハウツー本。

確かに決断して行動することは大事だと思う。
行動しなければ、何も変わらない。

でも、基本的に人間は決断を避ける傾向にあると思う。
決断には、「身を切るような」あるいは「断腸の」思いを伴う。

それは、決断が選択肢に見切りをつけることだからだ。
選択肢がなくなると、決断が誤りだったときに撤退できなくなる。
行動経済学の実験でも、合理的なら決断して他の選択肢を捨てる条件を設定しても、多くの人は決断しないという傾向が見られたらしい。
『誘惑される意志』(感想)で読んだと思う。

自分も決断を先延ばしする傾向にある。
大抵は先延ばししても何もいいことはなくて、いつも後悔する。

後悔を繰り返す度、これではいけないと決断するのだけれど、なかなか直らない。
本書では決断を尊重しているけれど、自分の意思には限界がある(しかもわりとすぐ来る)。

だから、決意しなくてもできるような環境を整えていきたいと思っている。
カゴがあればゴミを放り込みたくなるように、自然に行動してしまう環境を。
行動と意識しなくなるのが理想。

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