『「いき」の構造 他二篇』を読んでいる。
今、表題作を読んだところ。
きっかけは、銀座松屋で開催されている『私が出会ったart&designの本』。
複数の人が挙げていたので、手に取ってみた。
内容も面白かったけれど、それ以上に著者の姿勢が印象的だった。
概念は外から仕入れられるけれど、意味体験は内側で育てるものだから、伝えるものじゃなくて伝わるものだ。
今、表題作を読んだところ。
きっかけは、銀座松屋で開催されている『私が出会ったart&designの本』。
複数の人が挙げていたので、手に取ってみた。
内容も面白かったけれど、それ以上に著者の姿勢が印象的だった。
「いき」は個々の概念契機に分析することはできるが、逆に、分析された個々の概念契機をもって「いき」を構成することはできない。上記のように概念の不完全性を認めながら、それでも概念化することが意義だという。
意味体験を概念的自覚にみちびくところに知的存在者の全意義が懸っている。そうしなければ、伝えられないからだろうな、と思う。
概念は外から仕入れられるけれど、意味体験は内側で育てるものだから、伝えるものじゃなくて伝わるものだ。