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4月, 2010の投稿を表示しています

ヨセミテ見せてみて

『全体最適の問題解決入門』 を読んだ。 本書は、 『ザ・ゴール』 で知られるエリヤフ・ゴールドラットが、 『ザ・ゴール 2 』 で紹介した思考プロセスの解説本。 小説仕立ての『ザ・ゴール2』と違い、思考プロセスの進め方を平易な日本語で解説しているので、コンパクトにまとまっている。 玉に瑕なのが、注釈の分量と場所。 ほぼ全ページの下部に結構な分量の注釈があるので、視線が泳いでしまう。 読み終わった今、思考プロセスを試してみたいと思う。 読みながら、いくら読んでもやってみないと身につかないだろうな、と感じていた。 ところで、あとがきで、山本五十六の名言――「やってみせ、いって聞かせて、させてみて、褒めてやらねば人は動かじ」が紹介されている。 誰かやってみせてくれないかな、と他力本願なことも思う。

見ることと観察することは違うのだよ

『生物から見た世界』 を読んだ。 『動物と人間の世界認識』 ( 感想 )で、本書が繰り返し参照されていたので、原典にあたろうと思い手に取った。 『紫色のクオリア』 ( 感想 )とも通じるモノがある。 世界は、今自分が認識しているようにしか認識できないし、その認識のありようは交換出来ない。 相手がどう認識しているか知るためには、相手が何にどう反応するかを根気よく観察する必要がある。 そういう観点で 『「ほめる」技術』 ( 感想 )にあった分類を見直すと、あれは「モチベーションが高まるほめ方」に基づく分類とも言える。 「ほめる」には相手をよく見る必要があるというのも肯ける。 分類も指針にはなるけれど、具体的な言葉に落とすには観察眼が必要。

光合成プロセス

『紫色のクオリア』 を読んだ。 可愛らしい表紙とは裏腹に、中身はハード。 本書は次の3篇から構成される。 「毬井についてのエトセトラ」 「1/1,000,000,000のキス」 「if」 特に中心に配置される「1/1,000,000,000のキス」は、完全にハードSF。 グレッグ・イーガンの 『宇宙消失』 を思い出す。 そう言えば、最近WIRED VISIONで 『「光合成は量子コンピューティング」:複数箇所に同時存在』 という記事を読んだ。 光合成は、入出力を小学校で教えているけれど、そのプロセスは現在の研究課題ということらしい。 ギャップの開き具合が、面白い。

Open The Door

『鋼の錬金術師 25』 を読んだ。 いよいよ人柱――扉を開けた錬金術師達がホムンクルスの前に集められる。 5人目の人柱に関する展開には驚いた。 それから、24に引き続き、キング・ブラッドレイの存在感がすさまじい。 手負いにも関わらず、強い強い。 ホムンクルスの一人ではあるけれど、人間くさいところがまた良い。 そして最後にそのブラッドレイと対峙するスカーの意外な選択が明かされる。 早くも次が楽しみ。 でも、終わってしまうのが惜しい。 けれど、きちんと終わって欲しい。 複雑な気持ち。

笑い猫

映画館で"Alice In Wonderland" オフィシャルサイト を3Dで観てきた。 ジョニー・デップ扮するマッド・ハッターの活躍に期待していたのだけれど、割とあっさりとした役回りだったので、少し食い足りない印象。 反対に鑑賞前後で印象が変わったのが、赤の女王。 酷いことをしているらしいけれど、コンプレックス故の振る舞いだと思うと、あの結末はちょっと哀れ。 そして、期待以上に良かったのがチェシャ。 欲しい。

嫌な話製作脳

『バッカーノ!1710』 を読んだ。 1705に続く1700年代2つ目の物語。 ヒューイとエルマ-の過去に何があったか明らかになる。 エルマ-は相変わらずのスマイル・ジャンキーだったけれど、ヒューイには既刊からは想像できない言動が見られて、印象ががらりと変わった。 どう変わったかは、ネタバレ防止のためにさておく。 ところで、既刊が示唆する結末とフェルメートの登場から、ろくでもない終わり方をするだろうな、と思っていたら、本当にあるいは想像以上にろくでもなかった。 エピローグの構成も実に嫌な気配を漂わせていたし、これが嫌な話製作脳が回転した結果か……。 ともあれ、あとがきによると、次は本書の続き『1711』とのこと。 楽しみ。

身を切り見切る

『コーチングのプロが教える決断の法則「これをやる!」』 を読んだ。 本書は、決断し行動することの重要性を繰り返し訴えている。 ハウツー本を読むだけではない意味がないと述べるメタハウツー本。 確かに決断して行動することは大事だと思う。 行動しなければ、何も変わらない。 でも、基本的に人間は決断を避ける傾向にあると思う。 決断には、「身を切るような」あるいは「断腸の」思いを伴う。 それは、決断が選択肢に見切りをつけることだからだ。 選択肢がなくなると、決断が誤りだったときに撤退できなくなる。 行動経済学の実験 ※ でも、合理的なら決断して他の選択肢を捨てる条件を設定しても、多くの人は決断しないという傾向が見られたらしい。 ※ 『誘惑される意志』 ( 感想 )で読んだと思う。 自分も決断を先延ばしする傾向にある。 大抵は先延ばししても何もいいことはなくて、いつも後悔する。 後悔を繰り返す度、これではいけないと決断するのだけれど、なかなか直らない。 本書では決断を尊重しているけれど、自分の意思には限界がある(しかもわりとすぐ来る)。 だから、決意しなくてもできるような環境を整えていきたいと思っている。 カゴがあればゴミを放り込みたくなるように、自然に行動してしまう環境を。 行動と意識しなくなるのが理想。

赤橙黄緑青藍See

『動物と人間の世界認識』 を読んだ。 紫外線(UV)が人には見えない。 ところが本書によると、多くの昆虫は見えるそうだ。 いったいどんな風に見えているんだろうか、と思う。 ところで、経験上、「紫」という言葉から思い浮かべる色は、人によって異なる。 青みが強い色(Violet、菫色、江戸紫)を思い浮かべる人がいれば、赤みが強い色(Purple、京紫)を思い浮かべる人もいる。ピンクに近い色(Magenta、マゼンタ)を思い浮かべる人もいる。 この問題は「クオリア」や「逆転スペクトル」をキーワードに調べると、色々な考えが見つかって面白い。 自分としては、同じ人間が見ていても付近の色や照明の影響で変わるんだから、違う人間には違う風に見えていてもおかしくないし、問題にならないんじゃないかと思う。 例えば、一緒にカーテンの色を選ぶ場合でも、二人とも気に入ったものを選べば、それがお互いどう見えているかは問題ではない。

研ぎ澄ます

『トギオ』 を読んだ。 第8回『このミステリーがすごい!』大賞作品ということで、第4回大賞作品『チーム・バチスタの栄光』のようなエンターテインメント性の高い作品を期待していたら、裏切られた。 このミス大賞作品だけれどミステリー要素はないし、惹句は大袈裟だと思う。 「ブレードランナー」の独創的近未来、「AKIRA」の疾走感、「時計じかけのオレンジ」の暴力。 独創的なSFでもなければ、大したアクションがあるわけでもないし、暴力の描写も淡々としている。 ただ、視点を変えて読んだら、魅力的なところがあると思う。 一気に読める牽引力のようなものはある。 大賞作品という肩書きで割を食っているという気がする。 大賞というと王道的作品を期待するけれど、これはニッチだと思う。

思考の試行

『思考の整理学』 を読んだ。 きっかけは「考える癖をつけて下さい」と言われたこと。 試しに考えてみようと思ったところ、ふと「考えるって何だ?」という疑問に突き当たり、本書を手に取った。 思い返してみると、「考えている」を意識したという記憶がない。 もしかしたら「意識する」のは「考える」自分なのではないか、と思う。 同じ自分が行うことなので、同時にはできない。 もちろん考えたことがないというわけではない。 「考えている」を意識した記憶がないだけで「考えた」記憶はある。 むしろ考えても詮無いことを考え続けて嫌になることがある。 きっと、「考える対象」が期待されているものと違うのだろうな、と思う。 だから、何について考えるか、について意識的になることが必要なのだろう。 考えているつもりで、全然考えられていないという可能性も残っているけれど。

33×3

「 『Tarzan』 という雑誌を買った」 「お腹周りが気になり出した、というわけですね」 「定期的に筋トレをしようと思い立つのだけれど、実行する確率が非常に低い。しかも、実行しても長続きしない」 「三日坊主もいいところじゃないですか」 「体を動かすこと自体は割と好きなんだけどなぁ。実際、月に1, 2回は週末に体を動かしているし」 「その1, 2回は何をしているんですか?」 「まちまちで、野球とかフットサルとかランニング」 「筋トレとの違いはなんでしょうね」 「一緒にやる人がいるのが、いいのかもしれないな。野球やフットサルはもちろん味方や敵がいるし、ランニングも全く見知らぬ人だけれど同じコースを走っている人がいる」 「確かに周りに人がいるとさぼれませんしね」 「同じコースを走っている人は仮想敵というわけか」 「意外と好戦的ですね」 「ちなみによく負ける」 「でも弱い」 「というわけで、ちょっとした空き時間に『ながら』でできる簡単なものから取り入れていこうと思う」 「あぁ、雑誌で紹介されている方法のことですね」 「全部で33の方法が紹介されているから、全部3日で飽きたとしても、単純計算で99日は続くな」 「単純過ぎです」

踊って進め

『すごい会議』 を読んだ。 本書のテーマは、本文中の言葉を使えば「マネジメント・コーチング」。 自分の理解では、「コーチング」より「ファシリテーション」に近い。 つまり、 『コーチング入門』 ( 感想 )よりは 『ファシリテーション入門』 ( 感想 )に内容が似ている。 そう感じるのは、自分の中での整理が『コーチング入門』の「あとがきに代えて」にある以下の記述を踏襲しているからだと思う。 つまり学習者の主体的な学習を、側面からサポートする指導者の役割として、集団の中ではファシリテーティング、個別の場面ではコーチングが大切であるという概念整理ができたことが、私にとって最大の収穫でした。 会議の進行は集団の中での役割だ。 もっともコーチングが常に一対一とは限らないことが示唆するように、両者は連続していると思う。 ところで、本書の特徴はその構成にあると思う。 全部で約150ページで、そのうち約50ページを付録が占める。 本編では、コーチング・マネジメントの威力をストーリー仕立てで語っている。 付録では、会議の進め方とワークシートを提供している。 付録が約3分の1を占めることには、違和感を覚えるけれど、合理的な構成だと思う。 本編には細かい説明が少ないから、ストーリーがテンポよく進む。 反対に付録は修飾的な語が少なく、リファレンスに徹している。 中身がスカスカだと思うのは、自分が本を読む方だからだろう。 これくらいの分量の方が、本を読む習慣がない人にも受け入れられるのだろうな、と思う。

Home Rare

『コーチング入門』 を読んだ。   『「ほめる」技術』 ( 感想 )に引き続き、コーチングに関する本。 『「ほめる」技術』に比べると、本書の方が薄く広い。 例えば、 『「ほめる」技術』が1冊を費やしていたアクノリッジメントは、本書では「5 承認のスキル」に圧縮している。承認の他に、傾聴や質問について各1章を割いている。 こうして2冊を続けて読んで、コーチングの基本姿勢は相手の存在を認めること、認めていることを伝えることなんだな、と思った。 人間は存在を認められている状態の方が安心して力を発揮できる、という前提に立ち、相手が認められていると自覚できるようなメッセージを伝えている技術が、コーチング・スキルということなのだろう。 ところで、この前提は万人に当てはまるのだろうか。 当てはまらない人間は、何で動くのだろうか。 例えば、 中島義道の著作 のどれか(多分、 『カントの人間学』 )で、存在を認識されず観察者に徹したいという人間について書いていた。 自分はその気があるので、内省してみて思ったのだけれど、何となく、そういう人間は、自分が動く理由を自覚できない(あるいはしない)ように、シールドしている気がする。 それにシールドが取れたら取れたで、その理由では動かなくなりそう。

技術者の行く末

『「ほめる」技術』 を読んだ。 本書はコーチング・スキルの一つアクノリッジメント(Acknowledgement・承認)を紹介している。 最も強力なアクノリッジメントの一つが「ほめる」ことということで、本書はそこにフォーカスしている。 本書を読んでいて、技術者が報われない構図が少し見えてきた。 本書では、アクノリッジメントの好みによって、人を4タイプに分類しており、その中に「アナライザー」というタイプがある。 その性質を見ると、ステレオタイプな技術者はアナライザーの傾向が強いと思う。 そのアナライザーが好むアクノリッジメントは「専門性に対する認知」だそうだ。 本書でもそう言っているけれど、これは難しい。 ほめる側にも技術がないとそもそも専門性を認知できない。 最近読んだ、 『創るセンス 工作の思考』 ( 感想 )もそれを指摘している。 技術の価値を認められる人間は、技術者以上に少ないから、正当な評価を受けることは、さらに難しい。 さらに評価されたらされたで技術を活かす方向ではなく、マネジメントの方向へと進んでしまうケースが多い。 報酬は才能を無駄にせず生かす方向で、与えられるべきだ。従業員の努力に対しては、俸給、従業員の能力に対する信頼、仕事の決定権の付与などで報いるべきであって、必ずしもいつも出世の階段を押し上げる必要はない。部下が上司より給料が高くてはいけないといういわれはない。 『理解の秘密』 ( 感想 ) こんなことは、今更言うことでもないのかもしれない。関連ニュースが簡単に見つかった。 ITmediaニュース:技術者の12%は「会社が自分の何を評価しているか分からない」 社内評価に不満の技術者こそ、外へ――Seasar開発者がメッセージ - @IT サイエンス・ライターに相当する人が必要なのかもしれない、と思う。

「いき」の領域

『「いき」の構造 他二篇』 を読んでいる。 今、表題作を読んだところ。 きっかけは、銀座松屋で開催されている 『私が出会ったart&designの本』 。 複数の人が挙げていたので、手に取ってみた。 内容も面白かったけれど、それ以上に著者の姿勢が印象的だった。 「いき」は個々の概念契機に分析することはできるが、逆に、分析された個々の概念契機をもって「いき」を構成することはできない。 上記のように概念の不完全性を認めながら、それでも概念化することが意義だという。 意味体験を概念的自覚にみちびくところに知的存在者の全意義が懸っている。 そうしなければ、伝えられないからだろうな、と思う。 概念は外から仕入れられるけれど、意味体験は内側で育てるものだから、伝えるものじゃなくて伝わるものだ。