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9月, 2009の投稿を表示しています

インベーダのジレンマ

『イノベーションのジレンマ』 を読んだ。 原題は、"The Innotater's Dilemma"。確かにジレンマを抱えるのは人であり、現象ではない。 どうして微妙に変えるんだろう。イノベーターという単語に日本人は馴染みがないから? インベーダーと見間違えられそうだから? それはさておき。 本書は、今まで読んだ本の中で何度も言及されていたせいで、 読まないで読んだ気 になっていた。 けれど、読んでよかった。 あちこちで言及されているのも肯ける。 多くの大企業がパラダイムシフトを乗り越えられない理由を、本書は様々な視点から分析している。 ポイントは、破壊的技術は小規模市場で生まれ育ち、やがて大規模市場を形成する技術を代替するまでに至るところだと思う。 面白いのは、破壊的技術は開発されない点だ。 まず技術が先にあり、使い道は後からついてくる。結果的に既存技術が支配する市場を破壊した事実を、後付けでイノベーションだのパラダイムシフトだの呼んでいるに過ぎない。 では、なぜ技術が先行するのか。 この問いに対する答えは、次の引用で二つの十分だと思う。 「もし私が顧客に、彼らの望むものを聞いていたら」と、発明の才に溢れたフォード氏は言っていた。「彼らはもっと速い馬が欲しいと答えていただろう」 イノベーションの達人!―発想する会社をつくる10の人材 誰もガリレオに太陽系の説明を頼んだわけではありませんし、エンゲルバートにマウスを説明するよう頼んだわけでもありませんし、ベルに電話を作り出すよう頼んだわけでもありません。 『イノベーションの神話』 誰も未来を予測なんてできやしない。 イノベーションは ブラック・スワン だ。

類化要る?

『古代から来た未来人 折口信夫』 を読んだ。 本書によると、折口は人間の能力を、「別化性能」と「類化性能」との2軸に分けて認識していたそうだ。 「別化性能」は、物事を区別する能力。解像度のようなものだろう。 これが高いということは、「違いが分かる」ということ。 一方、「類化性能」は物事を接続する能力。これが高いということは、発想・連想が豊かということ。 同じ見方を、バーバラ・ミントもしている。 そこでは、「別化性能」・「類化性能」のことをそれぞれ「アレゴリー」・「アナロジー」と呼んでいる。 面白いことに、どちらも「類化性能=アナロジー」を重視している。 この能力を発揮し、異質な物事の接続により、折口信夫は宗教が生まれると言い、バーバラ・ミントは愛が生まれると言う。 大きなことを言うなぁ、とは思うけれど、確かに、考え方が変わるくらいの衝撃が生まれるには、異質な物事との接続が必要だ。 同質の物事との接触では、予定調和にしかならない。 一方で、こうした接続は暴力性を持つことがあると思う。 そうなるのは、接続が「○○は××ではない」という認識を攻撃するときだ。 少なくとも自分は、何かと十把一絡げにされてしまうと、いい気はしない。 (外から見たらそう見えるという情報自体は貴重だけれど)

1, 2, 3, 0 - ウルヴァリン:X-MEN ZERO

ウルヴァリン:X-MEN ZERO を観てきた。 原題も同じだと思っていたら、"X-Men Origines: Wolverine" とわずかに違う。 邦題を英語でつける意義ってどれくらいあるのだろう。 "Origines" より、"Zero"の方が分かり易いと判断されたのだろうか。 ストリートファイター (IIの次がZeroだった) に倣ったとか。 それはさておき。 相変わらずアクションシーンが、ミュータントならではの動き満載で面白い。 ウルヴァリンはもちろん格好いいのだけれど、ツボだったのはガンビットの動き。 登場シーンはそんなに長くなかったけれど、トランプを発射したり、棒を振り回したり、と要所要所で魅せてくれた。 ストーリィはあってないようなものだけれど、期待していたアクションが派手で満足できた。

かねがねメガネ

This work by SO_C is licensed under a Creative Commons Attribution-ShareAlike 3.0 Unported License . かねがねメガネを描きたいと思っていたので、描いた。 せっかくのメガネなので、縁を太めにして存在感を出している。 メガネは記号化されているので、ステレオタイプが発生する嫌いはある。 つまり、かけている本人よりも、かけているメガネにつられて、認識が偏る。 もはやメガネが本体と言ったら、過言か。

清潔=衛生?

図書館で 『図説 不潔の歴史』 の一部を読んだ。 読んだのは、『9章 衛生という名の信仰』。 その中で出てきた、"Nacirema"の話が面白かった。 "Nacirema"は、"American"の逆さ読みで、不潔恐怖症とでもいうべきアメリカ人のことを指す。 つまり、健康上の観点からは不要な習慣である、口臭対策のデンタルリンスや歯のホワイトニングに必死になる人々のことだ。 本書は、こうした習慣は、企業の広告活動によって作り出されていると言う。 もちろん、どこまでがエチケットで、どこから過剰になるかは、個人差が大きいだろう。 それでも、分布に人為が働いている (少なくとも働かせようとしている企業がある) ことは、確かにそうだろうと思う。 広告のメッセージは、単純化すると「○○していないあなたは不潔です」だ。 このようなメッセージは、受け手に(健康上の観点からは)不要な不安を与えている。 無批判に延長線上で語られているのが問題ではないだろうか。 病気を防ぐために必要であり、公共性が高い習慣と、個人または文化の嗜好であり、公共性が低い習慣とがあることを意識した方が良いように思う。 「清潔『感』」という言葉が示すように、清潔かどうかは印象の問題に過ぎないだろう。

A beautiful greed

『A beautiful greed』を聴いている。 本作は、Acidmanの7thアルバム。 5th『green chord』、6th『Life』に比べると、聴きやすい。 分かり易いと言い換えた方がいいかもしれない。 特に、2曲目『±0』、3曲目『Carve in the Sense』は、爽快。 何となく、1st, 2ndの頃を思い起こさせる。 もちろんそれだけでは終わらない。 中盤以降、バラエティに富んだ曲が続く。 こちらは、5th, 6thに近い。 このように、前半は過去のアルバム、中盤以降は最近のアルバムに近いと感じたので、全体を通して聴くと、総覧的な印象を受ける。 悪く言えば、尖った所がないのだけれど、自分はどの曲にもAcidmanらしさを感じるので、散漫な印象は受けない。 飽きの来にくいいいアルバムだと思う。

夢見るアンドロイド - アンドロイドは電気羊の夢を見るか?

『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』を読んだ。 本作には、アンドロイドを識別するためのフォークト=カンプフ検査法という架空の検査法が登場する。 この方法は、アンドロイドを識別するためのものだ。そのために、被験者に人間なら生理的に嫌悪感を抱くはずの質問をし、感情移入反応の速度と強度とを測定する。 アンドロイドは、反応が遅れたり弱かったりするので、識別できるという理屈だ。 本作で描かれるるアンドロイドは、外見上人間と区別がつかないため、このような方法が必要になる。 以上のような設定をしているということは、著者は感情移入できることが人間の条件だと考えているのだろう。 しかし、何に感情移入できるかは、個人差が大きい。 感情移入の対象が、感情移入できる必要もない。 (例えば、物にだって感情移入できる) 一方で、同族嫌悪なのか、人間どうしお互いに疎外し合える。 そう考えると、作中に出てきた質問では、自分はアンドロイドと判定されるかもしれない。

トラトラトラ

『虎よ、虎よ!』 を読んだ。 本書は、 『ゴーレム 100 』 と同じ著者の作品だ。 混沌に溢れかえっていた『ゴレーム 100 』に比べれば、随分と読みやすい。 しかし、それは比べる相手が悪いだけで、本書は、怒濤の勢いで物語を語る。 不整合や構成の粗さなど、どこ吹く風か!! と言わんばかりに物語が転がり回る。 読んでいて、振り落とされそうになることもしばしばだ。 それでも、強引に読まされる。 奇襲にも反射的に反撃するように、読んでしまう。 そんな不思議な作品。 著者が「鬼才」と形容されるのも肯ける。

ポップの王様

『キング・オブ・ポップ-ジャパン・エディション』 を聴いている。 Michael Jacksonをきちんと聴いたのは初めて。 音楽ではなく、ニュースで話題になっていた印象の方が強い。 今でも聴けるのに驚いた。 イーヒーヒーが何だか癖になる。

Extreme Value Theory

ブラック・スワン[下] を読んだ。 ブラック・スワン[上] は読んでいない。 図書館で両方同時に予約したら、先に[下]が確保されたからだ。 上巻を読んで面白かったら下巻を借りようと思い、上巻だけを予約する人はいても、その逆はいないからだろう。 [上]を待ってから[下]を借り直すのも面倒だったので、読んでしまったけれど、同著者の 『まぐれ―投資家はなぜ、運を実力と勘違いするのか』 を読んでいたせいか、すんなりと入っていけた。 本書では正規分布がこき下ろされている。 それどころか、対数正規分布さえ、「とてもひどい妥協の産物」と切って捨てる。 なぜなら、それらでは黒い白鳥(ブラック・スワン)を正しく扱えず、問題の多くには黒い白鳥が潜んでいるからだ。 統計を囓っている者としては、耳が痛い。 自分の浅薄な考えでは、極値統計学が比較的この手の問題に正直に取り組んでいると思うのだけれど、いかんせん日本語の文献が少ない(というか書籍では絶版本しか知らない。今Amazon.comのマーケットプレイスで\28000)。 洋書を読もうかな……。 (結論が昨日のエントリ 『Mirror House Annex: ヴェランシア第三惑星』 と同じだ!!)

ヴェランシア第三惑星

『ドラゴン・レンズマン』を読んだ。 本書は、デイヴィッド・カイルによるレンズマンシリーズの外伝だ。 (ちなみに本編を書いたのはE・E・“ドク”・スミス) 主人公は、4人の第二段階レンズマンの一人、ウォーゼル。 デイヴィット・カイルは他に二人の第ニ段階レンズマンを主人公とした小説を書いている。 トレゴンシーが主役の『リゲルのレンズマン』、それからナドレックが主役の"Z-Lensman"だ。 (残る一人の第二段階レンズマン――キムボール・キニスンは本編の主人公) "Z-Lensman"だけ英語表記なのには、訳がある。 本作だけ、未訳なのだ。 訳(ワケ)があるのに、訳(ヤク)がない。 ナドレックが一番のお気に入りなので、残念でならない。 英語の勉強も兼ねて、洋書で読んでみようかな……。

Guitar & Guitar

"11:11"を聴いている。 本作はアコースティック・ギターデュオrodorigo Y gabrielaのセカンドアルバム。 全曲がインストゥルメンタルだけれど、ヴォーカルはギターと言わんばかりに色々な表情を見せてくれるので面白い。 ファーストアルバム"rodrigo y gabriela"と比べると、緩急がついたように思う。 前作が「急」メインだったのに比べ、本作は所々に「緩」を挟んでいるので起伏に富んでいる。 ところで、邦題『格闘弦』は雰囲気をぶち壊していると思う。 前作の邦題も『情熱ギターラ!』と酷かったのだけれど、邦題を付けた方が売れるのだろうか。

Umbreally

This work by SO_C is licensed under a Creative Commons Attribution-ShareAlike 3.0 Unported License . 傘が描きたかった。それに尽きる。 描き始めたときは色を塗るつもりではなかったので、黒でがしがし線を引いてしまった。 薄めの色で塗ることが多いから、黒い輪郭は少しくどい。 塗る前に色を調整しておけば良かった。

Undefined - フォト・リテラシー―報道写真と読む倫理

『フォト・リテラシー―報道写真と読む倫理』を読んだ。 『戦争広告代理店』 で一枚の報道写真の威力を思い知ったからだ。そこで、タイトルから報道写真の読み方が書かれているだろうと推測した本書を手に取ったのだけれど、期待していた内容とはズレがあった。と言うか、内容を理解しきれなかった。 本書のメインは、今日、「報道写真」、「ドキュメンタリー写真」、「ルポルタージュ写真」と呼ばれるものの歴史的背景だ。その中では、報道写真はその生まれからして事実を写し取ったものではないと述べられる。 けれど、そこまでだ。「では、何を写し取っているのか?」という問いを、本書は立てていない。 それどころか、主題の「報道写真」という言葉が何を指しているのかさえ、よく分からなかった。既存の用語をアンブレラワードとして使っているので、どの言葉が何を指しているのか掴めない。 アート/ジャーナリズム/コマーシャリズムの境界でこそ成熟してきた フォトジャーナリズムにおいて報道か、アートかを問う不毛性が改めて確認されるのである アートなんて言葉を使ったら、何も言っていないのと同じだと思う。

September Lush

『奇跡のシンフォニー』 を観た。 音楽はずるい。 脚本の甘さ(現実味のなさ)なんか帳消しだ。 それはそれとして、ウィザードに何だか同情してしまった。 親が見つからなかった、エヴァンの将来のようで。

拡散する情報

『戦争広告代理店』 を読み終えた。 本書は、ボスニア紛争の情報戦についてのドキュメンタリーだ。 紛争の当事者が繰り広げるPR合戦を、時系列に沿って描き出している。 一人歩きする情報の威力が、いかに強力か思い知らされた。 同時に、事実の非力さに愕然とする。 本書は、PRのプロフェッショナルのこんな言葉を載せている。 「どんな人間であっても、その人の評判を落とすのは簡単なんです。根拠があろうとなかろうと、悪い評判をひたすら繰り返せばよいのです。ですから、この種の攻撃は大きなダメージにつながることがあります。たとえ事実でなくとも、詳しい事情を知らないテレビの視聴者や新聞の読者は信じてしまいますからね。攻撃への対応策は綿密に練る必要がありました」 一種の暗示に近い。 言葉だけではなく、写真も同じだ。 この情報戦で、強制収容所に「見えるだけ」の写真が重要な役割を果たしている。 たちの悪いことに、一度はびこってしまった通説は、経験的に簡単には覆らない。 多くの人が、そのことを経験的に知っているから、 『人は見た目が9割』 が売れたのだろうか。 嘘は強い。ひとたび成功した嘘、多くの支持者を獲得した嘘は、真実が暴露されたぐらいで揺らぐものではない。何年、何十年もはびこり続けるのです。 『神は沈黙せず』

○○的に正しい

『戦争広告代理店』 を読んでいる。 その中で、「Politically Correct(政治的に正しい)」という英語の表現に出会った。 確かに、色んな正しさがあると思う。 30秒で5つ思いついた。 経験的に正しい 技術的に正しい 経営的に正しい 理論的に正しい 学術的に正しい これらを同じ目盛りで比較することはできないと思う。 恐らく互いに直交あるいはねじれの関係にある。 だから、異なる正しさに立脚したままでは、互いに接点が見出せない。 接点を見出すには、人がどの正しさに立脚して、それが自分の正しさとどういう関係にあるのか考える必要があると思う。 自分は基本的に技術的な正しさを是としてきたけれど、もちろんそうではない人もいる(と言うか、周囲にはそうではない人の方が多い)。

見返りミカエル

This work by SO_C is licensed under a Creative Commons Attribution-ShareAlike 3.0 Unported License . クリンナップしないつもりで、リラックスして描いてみた。 クリンナップ(最後に一本の線を選ぶ)がないと、大まかに形を捉えて大らかに線を引ける。 感覚的にはクロッキーに近いのかな? ただ、一般的なクロッキーよりずっと時間をかけている(計ったわけではないけれど、だいたい30分くらい) それでもちょっと物足りない。 細かいところを描くプロセスが楽しいところだからだろう。 ところで、自分の生活ではフォーマルな服装をなかなか観る機会がないので、描いていて新鮮だった。 もう少し時間をかけて描きたい。

There are two sorts of books

『マーブル・アーチの風』 を読んだ。 著者は、 『犬は勘定に入れません』 と同じコニー・ウィリス。 本書は以下の5篇からなる中短篇集。 『白亜紀後期にて』 『ニュースレター』 『ひいらぎ飾ろう@クリスマス』 『マーブル・アーチの風』 『インサイダー疑惑』 中でも、最後の『インサイダー疑惑』が面白かった。 ジャーナリストがチャネラーのペテンを暴こうとする話なのだけれど、後半の展開が素晴らしい。 ところで、本篇にはヘンリー・ルイス・メンケンという実在した人物が登場する。 この人の造詣が面白くて興味が沸いたので、調べてみると箴言が沢山引っかかってきた。 例えば、こんな言葉があるらしい。 2種類の本がある。誰も読まない本と誰も読む必要のない本だ。 うぅん、耳が痛い。

言葉にならない

『まだ見ぬ冬の悲しみも』 を読んだ。 本書は、6篇からなる短篇集。 『アイの物語』 と違って、各篇は独立している。 最も印象に残ったのは、『メドゥーサの言葉』。 設定の力業っぷりが良い。

Drum'n Bass (Only) - Death From Above 1979/You're a Woman, I'm a Machine

Death from above 1979の "You're a Woman, I'm a Machine" を聴いている。 このバンドを自分が知ったのは最近だけれど、2006年に既に解散している。 制作されたオリジナルアルバムはこの1枚だけ。あとリミックスアルバムが1枚ある。 ちなみに、メンバーを入れ替えての存続はあり得ない。 と言うのも、このバンドはメンバが二人しかいない。 しかも、ドラム(ボーカル)とベース(シンセサイザー、バックボーカル)という変則振り。 それでいて、この音!! 解散してしまっていて残念。

痛切な通説

『人は意外に合理的』 を読んだ。 『予想どおりに不合理』 と同じく、行動経済学が軸になっている。 一見不合理だけれど、予想できるという意味では、合理的だと言える。 言っていることは同じだ。 タイトルが矛盾しているように見えるのは、「合理的」がアンブレラワードとして使われているため。 基本的には色々な通説について多くの実験結果を参照して、より確からしい仮説を立てていく流れはスリリングだ。 ただ、例証が多いため、その主張も通説では? と首を傾げるところもあった(主張自体は検証可能なため、通説というのは言い過ぎかも知れない)。