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2月, 2009の投稿を表示しています

Relisten

ここ一週間ほど、電車の中で、The Raconteursの 『CONSOLERS OF THE LONELY』 を聴いている。 約1年前にCDを買って以来、MP3プレイヤに入れたのは何度目だろうか。 こうやってふと聴き返したくなるアルバムは、貴重だと思う。 アルバム何百枚分のMP3を持っているけれど、何度も聴くアルバムはそのごく一部だ。印象だけれど、一割にも満たないと思う。 かと言って、これさえあれば大丈夫とは思わない。 これだけ聴いていたら、きっと飽きてしまうだろう。 しょっちゅう聴き返したくなるという気持ちは、ずっと聴いていたいという気持ちではない。

Miniature Garden

『スカイ・イクリプス』 を読んだ。 解説によると、この短篇集で色々と謎が解決されたらしい。 しかし、自分はこのシリーズをそういう視点で読んでいなかったので、謎の解決によるカタルシスはない。 自分は、地の文に現われるキルドレの思考に視点を置いていた。 あのような思考に優しさを感じている時間が、心地よい。 その時間も、シリーズを締めくくる本作で終わりだ。 それを実感した今、箱庭の蓋が閉じられたように思う。 そう言えば、シリーズはちょうど6冊で構成されている。

探偵はいない

京極堂のいない百鬼夜行シリーズとでも言うのだろうか。 映画 『ローズ・イン・タイドランド』 の登場人物は、例外なく狂っている。 京極堂――狂気を相対化する視点を持つ人物――がどこにもない。 そのため、狂気によって掻き立てられた不安は、エンディングを迎えても解消されない。 言い換えれば、この映画は物を憑けるだけ憑けて落とさない。 娯楽性の観点から評価すれば、酷い映画である。 では、見所がないかと言うと、そうではない。 主人公ジェライザを演じる子役の存在感が、尋常ではなかった。 無邪気で優しくて狂っていて残酷で妖しくて、それでいて危なっかしさも残っている。 この魅力が失われるくらいなら、憑いたままでいい。落として欲しくない。 そう思えるほど圧倒的だった。

蛙の目

蛙の写真集 『ケロコレ』 を手に入れた。 もう絶版になっていたので、古本で購入した。 わざわざ絶版の本を古本を探してまで買った理由は、二つある。 一つに、『ケロコレ』そのものに対する期待がある。同じ作者の 『いきものアート〈1〉蛙』 が良かったし、『ケロコレ』自体の表紙も好きだから、多少の困難があっても欲しかった。 もう一つは、その困難の軽減――古本を探す手間の減少だ。 ウェブのおかげで、この手間が大幅に節約できるようになった。 古本屋を巡らなければならない、さらに巡っても見つかるとは限らない、となったら諦めていたように思う。 ウェブのおかげで、色んなものが見つけやすくなったと思う。 マイナなものも、古いものも見つけやすくなった。 ところで、肝心の『ケロコレ』の中身だけれど、『いきものアート〈1〉蛙』に劣らず、素敵な写真が多数あった。 特に名前がネコメで始まる蛙が素敵だ。 これらの蛙は、瞳孔が昼間の猫のように縦に長い。 そのため、瞳孔が大きいアマガエルとは違った表情をしているように見える。 新品の別の本だって買える値段だったけれど、良い買い物をしたと思う。

発芽

LUNKHEADの 『孵化』 を聴いている。 昨年発売されたこのアルバムのジャケットを見ると、9年も前に描いた絵を思い出す。 当時、タイトルを『germination』と付けた。 意味は、発芽――植物にとっての孵化だ。 随分変わったつもりでいたけれど、ずっと変わっていない部分があるようだ。 ぐるぐる回って一周して、同じところに帰ってきたのかもしれない。 ただ、それがどこかうまく言葉にできない。

剣を舞わせる

『されど罪人は竜と踊る 5』 を読んだ。 今回は、全部で7篇からなる短編集。 その内『幸運と不運と』と『刃の宿業』の二編が書き下ろし。 この二編につられて購入した。 他の五編は、角川スニーカー文庫版の三巻『災厄の一日』に掲載されており、既に読んでいる (ただし修正が入っているようだ)。 『され竜』らしいのは『幸運と不運と』だろうけれど、自分は『刃の宿業』の方が好みだった。 物語を追って斜め読み気味にページを捲ってしまったけれど、想像力を働かせながら読み返したい。 ところで、 ガガガ文庫公式サイト によると、4月に6巻が出るようだ。楽しみ。

ヘッドホンの価格と寿命

今日、ヘッドホンが壊れた。左側の音が鳴らない。 約1年間、毎日使っていた。 今回は長く保った方だと思う。 前回はたった3ヶ月で壊れてしまった。その前は5ヶ月くらい。 ちなみに購入年月日、購入商品、寿命は下記の通り。 2007/06/21 PHILIPS SHE7750 Turbo Bass(享年5ヶ月) 2007/11/07 SONY インナーヘッドホン MDR-E931SP B (享年3ヶ月) 2008/02/09 Panasonic ステレオインサイドホン RP-HJE300 (享年12ヶ月) いずれも2000~3000円くらいの価格帯だ。 次もそれくらいの値段の Creative ヘッドホン EP-630 ブラックモデル EP-630-BK を買うつもり。 すぐ壊れるかもしれない、という不安が先に立つので、高い製品を買う気にならない。 それとも、あまり高くない製品を選んでいるから、数ヶ月~1年で壊れるんだろうか。

Small Signal

『スモール・イズ・ビューティフル再論』 を読んでいる。 タイトルから、ミニマリズムに類する主張が展開されているのだろう、と予想していたのだけれど、実際はそうではなかった。 著者の主張はあくまで中道を行く。 実際、次のように述べている。 今日、人びとはほとんど例外なく、巨大信仰という病にかかっている。したがって、必要に応じて、小さいことのすばらしさを強調しなければならない。(もしも、ことの性質や目的と無関係に、小さいことが盲目的に尊ばれるようになったら、この逆のことをしなければならない) このバランス感覚は、 無印良品のメッセージ にも通じるものがある。 以下に、一部を抜粋する。 極めて合理的な生産工程から生まれる製品はとてもシンプルですが、これはスタイルとしてのミニマリズムではありません。(中略)省資源、低価格、シンプル、アノニマス(匿名性)、自然志向など、いただく評価は様々ですが、いずれに偏ることなく、しかしそのすべてに向き合って無印良品は存在していたいと思います。 バランスを保つことは、ある方向に倒すことより難しいと思う。 複数の力を均衡させ続ける必要があるからだ。 しかも、その力は強くなければならない。 力が弱ければ、周囲の力に負けてしまう。

Forget Your Information

『読んでいない本について堂々と語る方法』を読んだ。 本書には、読書の害がいくつか挙げられている。その中に「読むと書けなくなる」という害がある。同じことを、森博嗣氏も言っていた。 あるいは「ウィーナーの図書館の法則」にも通じるものがある。インプットを闇雲に増やしても、アウトプットの質には繋がらない。 伝えたいと思うのは、内から捻り出した自分の言葉だ。借り物の言葉は、FYIにしかならない。

プロフィール画像変更

タイトルデザインに引き続き、プロフィール画像も変更してみた。 旧画像 新画像 色味を周囲に合わせて変更した。 単体で見ると旧画像の方が好みだけれど、周囲に比べると原色に近過ぎる。 特にネクタイが浮いていた。 画像自体の色を調和させるのに加えて、それを置く場所の色とも調和させないと、バランスが損なわれる。

タイトルデザイン変更

ロゴのデザインを変更してみた。 基本的には、以前のデザインを踏襲している。 飾りっ気を出すために、タイトルフォントをオレンジにして、カエルの画像を右端に置いた。 タイトルと画像の間の余白を埋めたくなるけれど、高校時代に受けた書道の先生の教えを思い出して、ぐっと我慢した。 「余白」は、白い部分が余っていると書く。 余っていると勿体ないと思うのは、貧乏性かもしれない。 余白を上手く生かせるようになりたい。

ブルーカエルー2

Mirror House Annex: ブルーカエルー で公開している下書きから、ベクタデータを起こした。 色は好みで仮に置いている。 手元の資料に忠実に色を再現すると、ずっとビビッドな青色になるので目が痛くなる。 下書きよりちょっとスリムになったように見える。 ベクタに起こす際に、アウトラインの目安を線の中心としたせいだろうか。

ブルーカエルー

ここ数日の間に、何回かこのブログのデザインを変えたいと思った。 現在、デフォルトのテンプレートの一つに細かい調整をして使っているけれど、飽きてきたのだと思う。 手始めにタイトル部分のデザインを変更するつもり。 最上部に表示されるタイトルは、このブログの顔に相当する。 ここを変えれば、印象が大きく変わると予想している。 その素材として、カエルを描いた。 初めて描いた割にはよく描けていると思う(そう思わないと、ウェブに公開できない)。 描いてみたら満足してしまったので、自分を疑い始めている。 実はカエルを描きたかっただけではなかったのか、タイトルのデザインを変更したかったのではなくて、と。

服従からの自由 - 服従の心理

人が権威に服従するのは、自然なことだ。 『服従の心理』 を読み、そう思った。 同書に記されているのは、アイヒマン実験と呼ばれる実験の、実験者による解説だ。この実験は、良心が権威に逆らうことの証明を意図されて計画されていた。しかし、実験結果が示したのは、全く反対の結果だった。権威に指示されれば、人は積極的に良心の声に耳をふさぐ。その理由の一つが、自分の言動に一貫性を持たせるためだ。ひとたび自分を権威に従うものと認識してしまうと、それを覆すのは難しい。 実際、自分も自然に服従していることがある。ただし、そう分かるのは服従から離れているときだけだ。服従している状況下では、自分が服従していることを自覚できない。実験結果が示す通り、服従中は当事者意識を失っているからだろう、と思う。 振り返ると不思議なのだけれど、権威に反抗しようとは全く思わない。自分の場合、服従している当座の状況からの脱出が最優先になる。再発防止の発想――権威への反抗には、全く発想が至らない。 この状況は、 『コンサルタントの道具箱』 にあった、「問題解決に関するスパークスの法則」に従っている。 問題の原因となった人物が誰だかわかってくると、問題を解決できる可能性は低くなる。 権威に責任があると認識してしまっているので、問題が全く解決に近づけられていない。

答えはない

『森博嗣の半熟セミナ 博士、質問があります!』 を読んだ。 雑誌に連載していたエッセイをまとめた本。 科学に関する雑多なトピックを、Q&A形式で解説している。 各トピックは見開き2ページに収まっているので、ぱらぱらとめくって目についたページを読むだけで楽しめる。 ときどきAがないまま終わるところが面白い。 ところで、環境に関する考え方は、本当にその通りだと思う。 人間を犠牲にしてまで守るものではない。

一炊の夢 - 潜水服は蝶の夢を見る

『潜水服は蝶の夢を見る』 を観た。 主人公は、病気によって四肢が麻痺してしまった元ELLE編集長。 辛うじて動かすことができるのは、左目だけ。 そこで、順番に読み上げられるアルファベットに反応して、まばたきをすることで、自伝を書き上げた。 この作品はその自伝に基づいている。 まばたきだけで一冊の本を書き上げた主人公も根気強いが、そのためにアルファベットを読み上げ続けた周囲もそれに負けず劣らず根気強い。 シチュエーションだけ聞くと悲愴だが、話は淡々と進む。 主人公も悟りを開くことなく、テレビを消してしまった病院のスタッフに(心中で)悪態をついたり、綺麗な療法士に色目を使ったりする。 露骨に涙や感動を誘うような演出はない。 自分は、そこが良いと思う。 「さあ、泣いてくれ」と言わんばかりの見え見えの演出は好みじゃない。 それだけに、途中で挟まれる象徴的な映像に、裏側の意図を感じてしまったのが惜しかった。

ラウンドロビン

ガチャガチャ Robin with his 100 friends を一つ買ってみた。 PasonWorksのキャラクタは、口元が好きだ。 第1弾 と 第2弾 に引き続き、これで友達16人。 出てきたのは、主人公のロビン(写真参照)。 髪型が妖怪人間ベロに似ていると思う。 一番欲しかったのは、ライアン。 パーカーを被っている様子といい、性格設定といい、シニカルな印象を受けるPansonWorks特有の口元とよく合っている。 ただ、どのキャラでも台座が黄緑色と変わり映えしないのが残念。 パーカのグレイと合っていないように見える。 台座の色もキャラクタごとに違っていたら、並べたときにカラフルで楽しいかもしれない。

ランダム乱打が生み出すカオスの顔

『77BOADRUM』を観た。 これは、タイトルになっている77BOADRUMというライブイベントの、ドキュメンタリー映画だ。 中心となっているのは、もちろんライブの映像。このライブの光景が、普通ではない。77人ものドラマーが一斉に演奏している。 その光景は圧巻だった。 一音一音は短い音なのに、無数に打ち鳴らされる音が、互いにつながっていく。 その場に居合わせたら、どんな感じだったのだろう、と想像を掻き立てられる。

間違える

『イノベーションの神話』 が面白かったから、 『アート・オブ・プロジェクトマネジメント』 を読んでいる。 自分はプロジェクトマネージャではないけれど、応用できそうなことが沢山書いてある。 特に、次の二つの認識は、意識したいと思う。 勝利をもたらす選択肢のない意思決定もある 優れた意思決定でも悪い結果をもたらすことがある。 『まぐれ―投資家はなぜ、運を実力と勘違いするのか』 の主張にも通じるものがある。 薄々そんな気がしていたけれど、目を背けていた。 高い確率で結果が出る意思決定をしていても、結果が出ないことがある。 それを認識しているだけで、気持ちに余裕が生まれる。 これを結果が出なかったときの言い訳にしてはいけないのだろうけれど。

付加価値の負荷

ヨーロッパ型のブランドがある特定の個性を強い意志で保ち続けるのに対して、日本の日用品はマーケティングの反復によってどんどん「怠惰」で「ゆるみ」のある商品に変化していく。 鶏が先か卵が先かという問題かもしれないけれど、消費者の方から「怠惰」や「ゆるみ」から脱することはできないのだろうか、と反論の可能性を考えた。 『デザインのデザイン』 の著者はデザイナーだからか、『欲望のエデュケーション』――デザインによる欲望の制御を提案しているけれど、他に解決方法があるかもしれない。 消費者が「怠惰」で「ゆるみ」のある商品を買わないというのが、一つの方法だと思う。 そうすれば、マーケッティングによって商品は改善されるだろう。 小さなセグメントなら、マーケットからそのようなメッセージを発することが可能だと考える。 マーケティングの分解能が上がっているので、そのメッセージが拾われる可能性も高まっているだろう。 メッセージが届けば、残るハードルは、採算性と技術的な実現性の二つだ。 採算性が最大の問題だ。技術的な実現性は、個別の問題なのでここでは扱わない。 自分を含む消費者は、自分の日用品に対するこだわりにいくらまで余分に払う意思があるのだろうか?

説得力のある絵空事

『ネジ式ザゼツキー』を読んだ。 示される仮説がいちいち大袈裟で、それでも説得力があるところが面白い。 外連味がある、と言い換えてもいい気がする。 「細かく読めば粗があるのは?」と感じたけれど、深く考えさせずに先を読ませる勢いがある。 そんなわけで一気に読んでしまった。 ところで、途中で『ゴウレム1』という節タイトルが現われたとき、『ゴウレム 100 』に達したらどうしよう、と不安を感じてしまった。 そんな要らぬ心配をした自分がおかしい。

Go Ahead

『シャッフル』を観た。 色々と腑に落ちない点も多いけれど、エンディングが良かった。 何もかもはうまくいかないけれど、いつまでもやり直し続けるわけにはいかない。 うまくやろうとすることも大切だけれど、結果を受け止めることも必要だ。 前に進むしかないのだなぁ、と思う。

誰のために革命はなる

『チェ 39歳 別れの手紙』を観た。 後半はボリビアが舞台。 ここでの革命は失敗に終わることが分かっているせいか、鑑賞中ずっと閉塞感を感じていた。 特に、農民のために戦っているのに、農民の支持を得られないところが、やるせない。 それでもチェは戦い続けた。 何がそれを可能にしたのだろう。