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みぴょこぴょこ

3種類のシークレットのうち1種類出てしまった のが運の尽き。 残り2種類を買ってしまった。 まさにカエルぴょこぴょこみぴょこぴょこ。 上の画像がダルマガエル。 下の画像がナガレタゴガエル。 シークレットだけあって、ノーマルとは違う。ジオラマ仕立てになっている。 このように作りから違うと欲しくなる。 対照的に同じ作りで色違いだと集める気にならない。 レアリティにお金を払っているわけではない。 それも人為的に作り出されたレアリティならなおさらだ。

システム思考プロセス

『なぜあの人の解決策はいつもうまくいくのか?』 を読んだ。 本書は、システム思考の入門本。 システム思考は、システムダイナミクスというシミュレーション手法から生まれた、問題の捉え方の一つ。思考フレームワークと言っていいと思う。 システムダイナミクスを適用できるように数式に落とし込もうとするとコストが過大になりがちだけれど、同じ考え方で問題を捕らて定性的に分析するとコストパフォーマンスが高いよね、ということだと思う。 本書が紹介している「システム思考」、 『ザ・ゴール 2 』 が紹介している「思考プロセス」と通じるものがあるように思う。 例えば、レバレッジ・ポイントはボトルネックに対応している。 思考プロセスもシミュレーションに端を発しているので、合理的に考えた結果、解が収束したということだろうか。

速さの先にあるもの

巧遅拙速という四字熟語がある。 孫子の兵法 (「三十六計逃げるに如かず」で有名なあれだ) の一つ――「巧遅は拙速に如かず」の略で、その意味は「巧みでも出来上がりが遅い仕事は、拙くても出来上がりが速い仕事に及ばない」。 (少しググると、この意味は文脈から離れてしまっているという主張も見つかりますが、ここでは辞書に載っている意味で) これを「巧み⇔拙い」と「速い⇔遅い」の2軸に分解すると、2×2のマトリックスが描ける。 巧 拙 速 遅 孫子が正しいなら、優れている順に番号を振るとこうなるだろう。 巧 拙 速 1 2 遅 3 4 速くて巧みにできるのなら、それに越したことはない。 だから、できればここ (以下、巧速) を目指したい。 今、自分は右下 (以下、拙遅) にいる。 そこから巧速に至る最短ルートは2本ある。 拙遅 → 拙速 → 巧速 拙遅 → 巧遅 → 巧速 とかく拙速が巧遅より推奨されがちだけれど、自分が何かを覚えたときのことを振り返ると、2のルートを通っていたように思う。 拙速から巧速へと変わるイメージがない。 イメージがないだけで道があればいいのだけれど、もしかしたら行き止まりかもしれない。 この思いは、拙速に対する疑問に繋がっている。 拙速の先には何があるのだろうか。

危なげない数字

『数字に弱いあなたの驚くほど危険な生活』 を読んだ。 不安を煽るタイトルは、本書の趣旨に反している。 本書は、不要な不安を抱かせるべきではないと言っている。 特に問題にしているのは、不要な(しかも間違った)不安を与える数字だ。 例えば、何かの病気の検査にひっかかったときに本当にその病気である確率 (真陽性率) 。 この確率を、患者はもちろん医者さえも、本当にその病気の人がその検査にひっかかる確率(感度)と取り違えていることが多い。 前者は後者に比べて何十倍も低い。 この誤りは、数字を確率ではなく自然頻度(何人中何人が云々)で表現することで、かなり軽減される。 どのくらい軽減されるかは、本書を読んでみて欲しい。 調査結果が自然頻度で表現されている。 それに、少し考えてみて欲しい。 自分が数字オンチを克服できると、数字が本当は難しくないと、思わせてくれる。 そして、きっと実際に克服できる。 少なくとも、自分はできそう。

誤植を見つけたとき

本やWebの誤植に気がついたら、どうしているだろうか。 振り返ると、ほとんど無視している。 たまにTwitterでつぶやいたりする。 もっと面白いと、ブログに書くこともある。 そんなことがしたいんだろうか。 いや、その時はそうしたいからしたんだろうけれど。 後から本当にしたかったんだろうか、と振り返るとそうでもない気がする。 少なくとも、今、そうしてよかったとは思わない。 ところで、今、図書館から借りて読んでいる本には書き込みがある。 書き込みの内容は、校正だ。 偽陽性と偽陰性が入れ違っているなどの深刻な誤りを正しているので、理解の一助になっている。 ただ、もちろん、図書館の本に書き込みをするのは、マナー違反だ。 でも、Twitterやブログでネタにするのとどちらが上品だろうか。 そんなことをつらつらと考えている。 そっと指摘するのがスマートだろうな、と思うのだけれど、そんなチャンネルがないこともしばしば。 「当社へのお問い合わせは」なんて言われたら、しゃちほこばってまうわ(名古屋つながり)。

とっかかりかカット

『経済物理学の発見』 を読んだ。 本書は全8章からなる。 経済物理学の手法について説明しているのは、主に3, 4章。 それ以前の1, 2章の役割は、導入と背景となる物理学の説明。5章以降は、経済物理学から得られた知見や、筆者の提言。 手法についてもう少し掘り下げて欲しかったと思うけれど、それ以上に、自分の本の選び方がよくなかったのだろうな、と思う。 手法について詳しく知りたかったら、新書じゃなくて専門書を読んだ方が良さそう。 ただ、読み物として面白かったし、経済物理学の誕生・発展の背景も分かりやすかった。 とっかかりとしては、良かったと思っている。

事実だからといって理解できるとは限らない

『金融工学の挑戦』 を読んだ。 『ブラック・スワン』 に通じることが書いてある。 VaRの場合、九九%VaR点の先一%のところにどんな大きな落とし穴が待っていても、それは気にしなくて良いことになる。これがこの指標の大きな欠陥である。 この「大きな落とし穴」が、『ブラック・スワン』の著者タレブがいうところの「悪い方の黒い白鳥」にあたる。 欠陥の原因は、収益率が正規分布しているという仮定だ。 本書によると、この仮定は七十年代に否定されている。 それにも関わらず、なぜ今でも正規分布が持て囃されているのだろうか。 正規分布が真の分布の良い近似になっているの分野ではもちろん使えばいいのだけれど、金融工学のようなそうではない(恐らくそうではなさそうな)分野でも使われ続けているのはなぜだろうか。 理由の一つは、計算が容易であるということ。 正規分布を仮定すると、美しい解析解が得られる。 このことは回帰分析の過程を追ってみると分かる。 それから、もう一つ。 理解が容易であるということもあるんじゃないだろうか。 エイモス・トバースキーとダニエル・カーネマンによれば、人びとは、自分に理解できない案は、そこに内在する リスク に関係なく「 リスク が大きい」と判断し、理解できる案は、内在する リスク に関係なく「 リスク が小さい」と判断する傾向があるという。 『イノベーションのジレンマ』 よく分からないものには手を出したくないという気持ちは分かる。 でも、「理解できる/できない」と「事実に即している/即していない」とは、何の関係もない。

温かかATTA - UA/ATTA

UAの8枚目のアルバム『ATTA』を聴いている。 雨のイメージを喚起するエキゾチックな雰囲気が好き。 エキゾチックだけれどエキセントリックではないので、聴いていると落ち着く。 ポップではないので取っつきにくいけれど、この独特さが他に代え難い。

まに☆わに

『真庭語』 を読み終えた。 本書は次の4篇からなる短篇集。 初代真庭蝙蝠 初代真庭喰鮫 初代真庭蝶々 初代真庭白鷺 『刀語』 から200年前の物語であるため世界設定は共有しているが、直接的な繋がりはない。 そのため、本巻だけ読んでも、置いてけぼりを食うことはない。 『刀語』には何代目かの同名の人物が登場するけれど、初代の方が魅力的。 中でも真庭白鷺が良かった。 ところで、刀語に真庭○○はあと8人登場しているのだけれど、続きは出るのだろうか。

引金

『刀語 第十二話 炎刀・銃』 を読み終えた。 これにて『刀語』以下12冊読了。 『第一話 絶刀・鉋』 『第二話 斬刀・鈍』 『第三話 千刀・鎩』 『第四話 薄刀・針』 『第五話 賊刀・鎧』 『第六話 双刀・鎚』 『第七話 悪刀・鐚』 『第八話 微刀・釵』 『第九話 王刀・鋸』 『第十話 誠刀・銓』 『第十一話 毒刀・鍍』 『第十二話 炎刀・銃』 虚刀流七代目党首・鑢七花と奇策士・とがめの旅もこれにて終了。 本巻は西尾維新らしく、益体もないし、身も蓋もない。全く、報われない。 それでいて結末にどこか清々しさを感じているのが不思議。 恐らく狙っているのだろう。 1冊あたりの分量が少ないこと、同著者の戯言シリーズや人間シリーズに比べるとアクが弱いことからも、間口が広いものにしようという意図が伺える。

青灰

This work by SO_C is licensed under a Creative Commons Attribution-ShareAlike 3.0 Unported License . パンツスーツが描きたかった。 以下、反省点。 ちょっと頭大きくなった感がある。 足の位置がおかしい気がする。 右手を描いていないのは、上手くかけなかったから。 背景を描いていない。 まだまだ精進が足りない。

同じ阿呆なら

『されど罪人は竜と踊る 7』 、 『されど罪人は竜と踊る 8』 を読み終えた。 相変わらずの 梯子を下ってどん底、どん底♪ あれ、どん底の底も抜けちゃった♪ な、展開。 期待を裏切られたと思った部分もあったけれど、そう思うのは期待の方向がずれているのであって、期待されている側の方が一貫していたりすることに気がついた。 とにかく、これで角川スニーカー文庫から出ていた長編が出揃った。 7巻『あとがきではなくあくまで後記』によると、新作長編も短編も執筆中とのことなので、続刊を待とう。

で何の話だったのか

『アンビエント・ファインダビリティ』 を読んだ。 世の中には「アバウトネス(何についての情報か)」がない情報が多いことに気がつく。 少なくとも軽視されていることが多い。 このブログのデザインもそうだった。 アバウトネスの一つであるラベルが本文より下にあった。 こんなところにあっても役に立たないだろう、と思い、タイトル下に移動させてみた。 軽視されているのは、予備知識やその場の環境など、間接的な情報を参照すれば事足りることが多いからだろう。 こういう考え方が広まって、目にする情報がもっと見やすくなったらいいな、と思う。

パワフル・ワッフル

『パワー・プレゼンテーション』 を読んだ。 プレゼンテーション界隈では、「論理的」という言葉を「感覚的」に使っているのだと、いい加減理解することにした。 最初が2項目なら、その後も同じ2項目とする。これは聞き手に対して、バランスのよさを印象づけ、論理的だというイメージにつながる。 そう割り切れば、本書はとても良い本だと思う。 何を目指すべきか、なぜそうするのか、そのためにはどうすべきか、を明確に述べている。 何より、本書自体にストーリィとしての魅力がある。 そして、その魅力が中で書かれていることの説得力を増している。 そうしてみよう、という気にさせられる。

法の下には何がある?

『ブラック・ラグーン 9』 を読んだ。 6巻から始まったロベルタリベンジ編も、本巻でようやく決着。 色々と気になる伏線も貼られたけれど、それはさておき。 本巻で一番印象的だったのは、火傷顔(フライフェイス)の告白。 激白と言ってもいい。 これまで断片的にしか触れられることのなかったホテル・モスクワの行動原理が叫ばれる。 その内容には、虚を衝かれた気分。 善に相対するのは、悪ではなく、法や体制かもしれない。 『服従の心理』 を思い出す。

希望・欲望・希求・欲求

『はてしない物語』 を読んだ。 自分は自分の欲するところを知っているだろうか。 知っていたとしてそれを実行できるだろうか。 厳密に言えば、どちらの質問の答えも、「No」だろう。 『誘惑される意志』 が紹介する実験結果が示すように、人間はしたいことをよく分かっていないし、分かっているつもりでもそのとおりにできなくて後悔を繰り返している。 最初から分かっていたつもりになっているのは、後知恵バイアスのおかげだ。 欲しかったのはこれだったのだ! と思うのは、答えを示されてからである。 かくいう自分も、後悔ばかりしている。 難しくもない用事を後回しにして、溜まっている様を見てはうんざりし、溜めた自分にうんざりする。

死して屍

『セールスマンの死』 を読んだ。 戯曲(演劇の脚本)だというのに、生々しい。 戯曲だからこそ、生々しいのだろうか。 思っても言葉にはしないようなことを言葉にしている。 生々しいのは、普通の人間の恐ろしさだ。 こんなことを考えていても何もおかしくない。 どんなことかはネタバレになるので書かない。 読んで気持ちのよいものではなかったけれど、後悔はしていない。 読んでよかったと思っている。

意匠の小異

『デザインのたくらみ』 を読んだ。 デザインとアートの境界はどこだろうか、と考えた。 自分はデザインは機能的であって欲しいと思う。 しかし、本書の著者はこう言う。 「機能から考え出されたデザインは美しい」とよく言われるが、僕は賛成しかねる。 その例として、倉俣史郎の椅子を挙げている。 詳しく知らないが、倉俣史郎の椅子には、機能を全く提供しない――つまり、座れないものもあるらしい。 自分は、最早それは椅子ではないのではないか、と思う。 では何か? と問われれば、原寸大のフィギュアだと答えるだろう。 食品サンプルのようなものだ。 見た目も大きさもそのままだけれど、そもそもの機能(食べる・座る)は提供しない。 と言うのも、著者は、その椅子を、 空間の美を際立たせる「花」としてのイス と表現しているからだ。 だとしたら、少なくとも自分にとって、座れない椅子はデザインされたプロダクトではない。 アートだ。 目で愛でるものはアート、使えてこそのプロダクト。自分はそう認識している。 このギャップは、恐らく「デザイン」という言葉の曖昧さが生んでいる。 この言葉から自分は「設計」に近いニュアンスを感じるけれど、筆者は「意匠」に近いニュアンスで使っている。 意匠は排除されるべきだ、というミニマリストではないけれど、機能はあってしかるべきだと思う。

Fire Flies

飛び道具の人類史―火を投げるサルが宇宙を飛ぶまで を読んだ。 本書は、沢山の飛び道具を紹介している。 その名に人類史と冠するだけあって、石礫からロケットまでを網羅している。 言われてみると、高い精度で物を投げられるのは、確かに人くらいか。 ちなみに自分は投げるのが苦手だ。 野球のボールを投げるより、サッカーボールを蹴った方が、飛距離も精度も出る自信がある。 人間って器用だなぁ、と思う。

OUTLINE of PRISMOID

Detour Tokyo と KDDIデザイニングスタジオ に行って、深澤直人氏の作品を見てきた。 Detour Tokyoには MOLESKINE を使って制作した作品OUTLINEが、KDDIデザイニングスタジオにはデザインした携帯電話 PRISMOID が、それぞれ展示されている。 ちなみに、MOLESKINEというのは、ブランド手帳の名前。OUTLINEでは、そのまま手帳として使っていた。 その帰りの道すがら、「OUTLINE(輪郭)は線じゃなくて面では?」と、ぼんやり考えていた。 MOLESKINEという面に描かれたデザインの輪郭は線だけれど、au Design Parkという空間に置かれたプロダクトの輪郭は面だ。 数学の言葉で言い換えると、平面の超平面は直線であり、立体の超平面は平面である。 平たく言うと、平面上での境界は線で、空間上の境界は面。 頭ではそう理解していても、立体を見たら線を知覚するのは、網膜が受け取るのが平面化された情報だからか。 平面上で対象を見分けるなら、平面を分割するのは線に着目する必要がある。 多分、視覚の弱点を補うのが、触覚だろう。手触りは、平面の情報をそのまま受け取れる。 例えば、携帯電話の持ちやすさに現われる。そういう意味では、PRISMOIDはカクカクしていた。 一方、PC上では、何をしていても(どんなソフトウェアを使っていても)マウスやキーボードの同じ手触りしか得られない。 これ以上考えると、視覚情報処理やタンジブルユーザインタフェースについて調べたくなるので、この辺りで。