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付かず離れず - X-MEN: アポカリプス

『X-MEN: アポカリプス』(原題"X-Men: Apocalypse")を観た。『ローガン』を観る前に、と思って。

結論から言うと、『ローガン』との繋がりは薄い。エンドロールの後にチラリと次回作が〈ウルヴァリン〉シリーズだと仄めかされる程度。なので『ファースト・ジェネレーション』、『フューチャー&パスト』、本作の三部作を観ていなくても、『ローガン』は楽しめる。もっと言えば、『ローガン』は単独でも観賞に堪える作品だと思う。

『ローガン』の話はこれくらいにして、本作の話に戻ろう。

本作の舞台は『フューチャー&パスト』で改変された後の過去の世界。チャールズは「恵まれし子らの学園」を運営しているし、彼の能力を増幅する装置セレブロもあるけれど、X-MENは結成されていない。そんなタイミングの物語だった。

『フューチャー&パスト』で初期三部作と合流して登場人物が入り乱れてはいるけれど、思い返せばチャールズ/プロフェッサーXとエリック/マグニートーを描いていたように思う。次点はレイヴン/ミスティーク。ローガン/ウルヴァリンは、スピンオフシリーズがあるので別枠。

おかげで、ヴィランのアポカリプスの影が薄い。原初のミュータントであり、神として崇められているにも関わらず。クイックシルバーに(一時的にとは言え)、ボコボコに殴られるし。何がしたかったのかよくわからず、世界を作り直して、もう一度崇められたがっているように見えたのも、小物感が出てしまってマイナス。『フューチャー&パスト』での改変により、ミュータントと人間の間の確執も表面上は解決してしまっているからなあ。完全にはしていなかったから、エリックがあんな目に遭ったわけではあるけれども……。アポカリプスがミュータントの特権性を謳っていたら、エリックがアポカリプス側に立つのに説得力が増すのだけれど。

というわけで、ツッコミどこともあったけれど、改変後の過去でのチャールズとエリックが観られて満足。こちらの時間軸では、初期三部作のような決定的な決裂は起こらないといいなあ、と思う。

余談。クイックシルバーが超スピードで「恵まれし子らの学園」の子ども達を救うシーンが最高だった。良いキャラをしていることもあり、それも含めて彼もお気に入り。

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