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調べて実験、調べを実演 - クモの糸でバイオリン

『クモの糸でバイオリン』を読んだ。

短いながらも、熱のこもった一冊だった。クモの糸について調べることウン十年。ヴァイオリンの弦を作っちゃって、しかも比較評価結果がおもしろくて、束にして捩ったときの発見もあって、論文がトップジャーナルにも載るという、それはもう盛りだくさんの内容だった。

クモの糸でヴァイオリンの弦を作って、通常の弦と比較してみたら、倍音成分が多くかつ強いという結果が得られたという。ざっくりいうと、音色が豊かだったということ。周波数成分と音の聞こえ方の関係については、『響きの科学』が詳しい。

束にして捩ると、六角形に変形し高密度になるという発見も面白い。互いに接する面積が大きくなり、摩擦が強く働くなるという。ワイヤロープの構造を思い出す。気になって調べた中で、おもしろかったサイトは次の3つ。
余談だけれど、コラムでグァルネリ・デル・ジェスの名前が登場した。先日読んだばかりの『ヴァイオリン職人の推理と探求』で知った名前。こういうつながりに気がつくと嬉しくなる。

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