「『いま世界の哲学者が考えていること』を読んだ。そして、考えている。今、俺は、世界の哲学者と同じ問題について考えていると言って過言ではない」
「下手の考え休みに似たりですよ、双司君」
「だからといって、考えなくていい問題じゃないよね。これらの問題は」
- 第1章 世界の哲学者は今、何を考えているのか
- 第2章 IT革命は人類に何をもたらすのか
- 第3章 バイオテクノロジーは「人間」をどこに導くのか
- 第4章 資本主義は21世紀でも通用するのか
- 第5章 人類が宗教を捨てることはありえないのか
- 第6章 人類は地球を守らなくてはいけないのか
「避けては通れないものばかりですね」
「うん。それは否定できない。でも、これらの問題をピックアップした理由が、これだけの説明しかないのはちょっと残念」
この分類は便宜的に設定したものですが、現代の状況を見渡すのに有効だと思います。
「そこから議論し出すと、壮大に何も始まらないからじゃないですかね……」
「もう一つ残念なことがあって」
「何ですか?」
「せっかく第1章でポストモダン以降の哲学について紹介しているのに、第2章以降ほとんど登場しないんだよね」
- 実在論的転回
- メディア・技術論的転回
- 自然主義的転回
「それはちょっとがっかりしちゃいますね」
「第2章以降もそれはそれでおもしろかったからいいっちゃあいいんだけれど、ちょっとモヤモヤする」
「おもしろかったのならいいじゃないですか」
※2020/09/08追記
軽く読み返していて思い出した。p.36-37で「言語構築主義」の考え方を代表するものとして「ジャック・デリダの「テクストの外には何もない」(『グラマトロジーについて』)がしばしば引用されます」と書かれているけれど、デリダのこの言葉は言語構築主義的な主張ではない。<a href="https://mirahalibrary.blogspot.com/2018/05/warum-es-die-welt-nicht-gibt.html">『なぜ世界は存在しないのか』</a>の感想にも書いたとおり。