『確信する脳』を読んだ。
〈確信〉は理性的に考えた結果として得られるものじゃない。〈確信〉は感覚的なものだ。考えてから確信しているように感じられるのは、錯覚だ。この本はそんな風に言っている。
つまり、確信している相手に「話せば分かる」は通じない。確かに、自分とは違う考えが正しいと頭では理解できても、納得はできないことなんて、よくあることだ。そうなると、その考えの方がどう考えても正しいし自分のためになるのに、その考えに沿った行動が取れなくなる。
デメリットと思えるこんな性質が人間に備わっているのは、解決方法が分からない問題に取り組むのに必要だかららしい。そういう問題に取り組むとき、解決できるとは限らない複数の方法から、実際にどれかを試さないといけない。その時、どれかの方法が正しそうだと思えなければならない。
もし、この性質がなかったら、「意味がない方法に賢明に取り組んでいる」という感覚を抱くことになる。この感覚は、認知的不協和を引き起こす。人間には、自分が取り組んでいることには意味があると感じるバイアスがあるから、それに真っ向から対立する。
作者は最後に、この厄介な〈確信〉に立ち向かうための方法を、F・スコット・フィッツジェラルドのエッセイ集『クラック・アップ』から引用している。「第一級の知性を証する能力がある。二つの対立する考えを同時に心の中に抱いたまま、その状態で働き続ける能力だ」 ある考えに正しさを確信しながら、その反対の考えを捨てないということだと思う。二つの行動を同時には取れない。
『わかったつもり 読解力がつかない本当の原因』で作者が最後に言っている、複数の解釈を保持する読解に似ている。
〈確信〉は理性的に考えた結果として得られるものじゃない。〈確信〉は感覚的なものだ。考えてから確信しているように感じられるのは、錯覚だ。この本はそんな風に言っている。
つまり、確信している相手に「話せば分かる」は通じない。確かに、自分とは違う考えが正しいと頭では理解できても、納得はできないことなんて、よくあることだ。そうなると、その考えの方がどう考えても正しいし自分のためになるのに、その考えに沿った行動が取れなくなる。
デメリットと思えるこんな性質が人間に備わっているのは、解決方法が分からない問題に取り組むのに必要だかららしい。そういう問題に取り組むとき、解決できるとは限らない複数の方法から、実際にどれかを試さないといけない。その時、どれかの方法が正しそうだと思えなければならない。
もし、この性質がなかったら、「意味がない方法に賢明に取り組んでいる」という感覚を抱くことになる。この感覚は、認知的不協和を引き起こす。人間には、自分が取り組んでいることには意味があると感じるバイアスがあるから、それに真っ向から対立する。
作者は最後に、この厄介な〈確信〉に立ち向かうための方法を、F・スコット・フィッツジェラルドのエッセイ集『クラック・アップ』から引用している。
『わかったつもり 読解力がつかない本当の原因』で作者が最後に言っている、複数の解釈を保持する読解に似ている。