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7月, 2013の投稿を表示しています

stub、shade、sky、surface and...

This work by SO_C is licensed under a Creative Commons Attribution-ShareAlike 3.0 Unported License . 切り株が箱庭のよう。 This work by SO_C is licensed under a Creative Commons Attribution-ShareAlike 3.0 Unported License . 落ちる影。 This work by SO_C is licensed under a Creative Commons Attribution-ShareAlike 3.0 Unported License . 見上げれば空(上の写真の真上じゃないけれど)。 This work by SO_C is licensed under a Creative Commons Attribution-ShareAlike 3.0 Unported License . 揺れる水面。 This work by SO_C is licensed under a Creative Commons Attribution-ShareAlike 3.0 Unported License . ひまわり!!

ラルフ・ラッシュ

『シュガー・ラッシュ』(原題 "Wreck-It Ralph") を観た。 舞台設定は、ゲーセン世代向け『トイ・ストーリー』と言ったところ。『トイ・ストーリー』では人間の見ていないところでオモチャが動き出すが、この世界では、閉店後のゲームセンターでキャラクタ達が自由に振る舞っている。 主人公ラルフは、架空のゲーム『Fix It Felix』の悪役。他のキャラクタに疎まれながら一人でいるのに嫌気が差している。そこでみんなに認められるため、他のゲームに飛び出していくのだけれど、トラブルを引き起こした結果、これまた架空のゲーム『シュガー・ラッシュ』に迷い込んでしまう。そこで、出会うのがヒロインのヴァネロペ。彼女もラルフと同じように、他のキャラクタにから良い扱いを受けていない。 この通り、主人公・ヒロインが登場するゲームは架空のものだけれど、実際のゲームに登場したキャラクタも、数多く出演している。約1分30秒の予告編を観るだけでも、クッパにソニック、エッグマン、ベガとザンギエフとと自分が遊んでいたゲームのキャラクタたちが勢揃い。ちょうど自分が遊んでいたゲームに登場していたキャラクタたちなのが嬉しかった。 ところで、ドットが視認できるようなゲームは、とっくにノスタルジーの対象になっている。この映画を観て、改めてそれを実感した。ドット絵は、最近のゲームから入った人・入る人にはどう映るんだろう? 「なんでこんなにカクカクしているんだろう?」と疑問に思ったりするんだろうか? リビングの大画面テレビに映るFull HDの3Dゲームや、同じ解像度を数インチに表示する高精細なスマホ・タブレットでのゲームでの映像から入っていたら、そんな気もする。 ともあれ、そんな辛気くさい話がどうでもよくなるくらい、この映画は楽しい。ラルフは良い奴だしヴァネロペは小憎たらしいんだけれど可愛い。舞台と演出も、80~90年代の2Dゲーム的なものから最近のFPS的なものまでバラエティに富んでいる。昔のゲームの雰囲気が、最新のCGアニメに再現されているところが面白い。そして、話の大筋はやっぱり古今を問わない王道に沿っている。

詩的史的ダーク

『チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド 思想地図β vol.4-1』を読んだ。というより眺めた。まだほとんど字を読んでいない。パラパラと写真を眺めただけ。 写真だけでも十分楽しめる。というわけで写真が大きい『チェルノブイリを撮る』が一番良かった(そりゃそうだ。まだ文字をほとんど読んでいない)。 不真面目な読み方(と言うか眺め方)だけれど、こういう眺め方ができるということも悪いことじゃないよな、と。真面目一辺倒な説教臭さからは、近寄りがたさが漂うから。

境界の溶解

『COURRiER JAPON 9月号』を読んだ。連載『レンズが切り取った「世界」』の第9回『「国境」のある風景』の写真が素敵だった。 写真の上に国名を載せてしまっているのがもったいない。写真の外に置いて欲しかった。あと、ちょうど国境にあたる部分でページをまたいでしまっている写真があるのも、気になる。そこが肝心の部分だろうに。 これらの写真に収められているのは、シェンゲン協定を参加国間の国境だ。この国境は、検査を受けずに越えることができる。翻せば、シェンゲン協定がなければ、合法的には越えられない境界が存在する。 日本は島国だから、陸地を移動している限り国境を越えることはない。だから、日常生活で国境を意識することは、ほとんどない。この状況は、どちらかというと珍しい部類に含まれるようだ。島国は、世界の国々の4分の1に過ぎない。このうち、一国が島全体を占めているのは、どれくらいだろう? 2011年時点で、島国は、国際連合の加盟国193カ国中、47ヶ国である。 島国 - Wikipedia

カラフルでグラマー

『WEB+DB PRESS Vol.74』の「コードに効く英語」が身につまされる。 まず、「英語に対する誤解」の節が耳にいたい。特に「聞き流すだけで英語ができる」という誤解。しばしばそんな風に謳った教材を見かけて誘惑されるけれど、切って捨てよう。聞き流すだけで英語ができるようになるなら、洋楽を聴いている内にとっくに出来るようになっているよね……。 肝心の内容は、英文法とクラス/メソッド名の関係。自動詞と他動詞の違いや文型、前置詞が、クラス/メソッド名にどう影響するかが解説されている。 『リーダブル・コード』 を読んで以来、〈カラフルな単語〉を使うように心がけているけれど、文法という視点で考えたことがなかったので、新鮮だった。 新鮮だったのはいいけれど、前置詞はよく分かっていないし、シンプルな名前を付けられるほど丁寧にモデリングするのも難しいし、まだまだ先が長い。長いのだけれど、時たま英語でメールを書く必要もあるしクラスを肥大化させるとメンテできなくなるしで、立ち止まっているとニッチもサッチもいかなくなってしまう。 ちょっとずつでも進んでいこう。「執拗にこだわる必要もありません」とあるし、軽い気持ちで。

にぴょこぴょこ

「旭山動物園カプセルZoo vol.5 からニホンアマガエル」 「 エイリアンのトミカ に続いて、また黄緑勢の戦力が強化されましたね」 「順調、順調。ところで葉っぱがクリアパーツなのはどうしてなんだろう?」 「お腹の側も見えるように?」 「そうかも。しかし、カエルのお腹ってなんであんな白いんだろう。魚の下側が白いのは、水中で下から見たときに、光に紛れるためだって 『眼の誕生』 で読んだけれど、同じ理由かな?」

金の魚は赤い

金魚と言えば、夏祭りの金魚掬い。というわけで、金魚を見ると夏らしさを感じる。金魚からしてみたら、夏にだけ出てくるわけじゃないのだけれど。 ところで、金魚掬いってUFOキャッチャーとよく似たところがある。取る過程が楽しいわけで、ぬいぐるみや金魚が欲しいわけじゃない。取れたら満足してしまう。 そういう意味では、生き物を使わないUFOキャッチャーの方が後悔が少ない。一方で、掬えなくても何匹かはくれる金魚掬いの方が良心的ではある。良心だけじゃなくて、ちゃんと売り切らないとそれはそれで困るという事情もあるか。 そんなわけで、金魚掬いじゃなくて、すみだ水族館で眺めてきた。落ち着く。

数字を感じること

『数覚とは何か?』を読んだ。 数字というと理性の象徴のようだけれど、意外とそうでもないらしい、という話だった。感覚的・本能的な部分も少なくないらしい。言われてみれば、エサや獲物の数、捕食者の数を把握することは、死活問題だ。そのための感覚が備わっていてもおかしくない。だから 『ぼくには数字が風景に見える』 なんてことがあるのか、とも。 その感覚はしばしばミスリードに使われているように思う。似てはいるけれど比較すべきでない数字が並べられているニュース記事なんかを、しばしば見かける。数字を見せれば、相手はそれが関係のない数字でも反射的に比較・計算してしまうから、事実に基づかない印象を与えられる。 印象の発生自体は、抑えられない。それは「熱い」とか「痛い」と同じ感覚に分類されるからだ。だから、対策としては、咄嗟の印象を信用しないで、吟味し直すことになる。比較可能な値なのか? とか、その数字は実際問題として大きいのか? 小さいのか? とか、そもそのもその数字は信頼できるものなのか、とか。 これは『確信する脳』の結論に似ている。第一印象を抱きながら、対立する考えを進めなければならない。これは、自ら第一印象を覆そうとしているわけで、なかなか苦しいことだと思う。

見えている回転

「螺旋の力を感じる」 「ひどいこじつけを見ました」 「でも、直線の組み合わせから回転感を感じることってあるよね」 「 『差分』 で書かれていたような感覚ですね」 「それが螺旋族の力」 「『天元突破グレンラガン』から離れて下さい」 「これが黄金の回転!?」 「『スティール・ボール・ラン』に行きましたか」 「中心に寄って回転させてみた」 「目が回ります」

Men In Green

トイ・ストーリーのキャラクタ・エイリアンのトミカを購入。エイリアンのおもちゃは、何かいいのがないか探していたところだったので、たまたま見かけたのを衝動買い。 特徴がうまく活かされているな、と思う。ヘッドライトが3つあるのがらしい。サイドミラーもとがっているし、触覚?もちゃんとある。ちょっと右目の塗装がはげていたのが玉に瑕。 これでまた 黄緑勢 に仲間が増えた。

No確信

『確信する脳』を読んだ。 〈確信〉は理性的に考えた結果として得られるものじゃない。〈確信〉は感覚的なものだ。考えてから確信しているように感じられるのは、錯覚だ。この本はそんな風に言っている。 つまり、確信している相手に「話せば分かる」は通じない。確かに、自分とは違う考えが正しいと頭では理解できても、納得はできないことなんて、よくあることだ。そうなると、その考えの方がどう考えても正しいし自分のためになるのに、その考えに沿った行動が取れなくなる。 デメリットと思えるこんな性質が人間に備わっているのは、解決方法が分からない問題に取り組むのに必要だかららしい。そういう問題に取り組むとき、解決できるとは限らない複数の方法から、実際にどれかを試さないといけない。その時、どれかの方法が正しそうだと思えなければならない。 もし、この性質がなかったら、「意味がない方法に賢明に取り組んでいる」という感覚を抱くことになる。この感覚は、認知的不協和を引き起こす。人間には、自分が取り組んでいることには意味があると感じるバイアスがあるから、それに真っ向から対立する。 作者は最後に、この厄介な〈確信〉に立ち向かうための方法を、F・スコット・フィッツジェラルドのエッセイ集『クラック・アップ』から引用している。 「第一級の知性を証する能力がある。二つの対立する考えを同時に心の中に抱いたまま、その状態で働き続ける能力だ」 ある考えに正しさを確信しながら、その反対の考えを捨てないということだと思う。二つの行動を同時には取れない。 『わかったつもり 読解力がつかない本当の原因』 で作者が最後に言っている、複数の解釈を保持する読解に似ている。

現し身の映し鏡

国立新美術館に行って来た。見てきたのは、 貴婦人と一角獣展 と アンドレアス・グルスキー展 。 貴婦人と一角獣展は、見に行く予定はなかった。けれど、話を聴いていたらやっぱり行きたくなってきて、予定を変えて最終日に滑り込み。実物は、『触覚』、『味覚』、『嗅覚』、『聴覚』、『視覚』、『我が唯一の望み』の順で展示されていたけれど、映像では、『味覚』、『聴覚』、『視覚』、『嗅覚』、『触覚』の5枚はこの順で隣接して並んでいて、『我が唯一の望み』だけ別の壁にさがっていた。制作当時はどういうレイアウトで飾られていたんだろう。 アンドレアス・グルスキー展に行って来たのは、たまたま見かけたチラシの写真が素敵だったので。写真っぽい写真は少ない。合成が多用されていたり、衛星写真を加工した作品があったり、美術館に展示された抽象画を撮影した写真があったりする。加えて、ミニチュアモードのように全体にピントが合っていることもあり、写真なのに現実感が感じられない。密度が高い大きな写真が、遠くから見たときの印象と、近くで見たときの印象がずいぶん変わって面白かった。

SERIE rises

「AQUOS PHONE SERIE SHL22に機種変更したよ」 「INFOBAR A01からですね」 「電池容量が3倍以上に! (1020mAhから3080mAh)」 「おめでとうございます」 「その代わりずいぶん大きくなったから、片手だと手に余るように」 「これに限らず、最近の機種はどれも大きいですよね」 「うん。大画面化のためかな?」 「画面が大きくなるのにつれて、解像度もどんどんあがっていますよね」 「そうだよね。これはHD (1280x720) だけれど、Hull HD (1920x1080) の機種も出ているくらいだもんなぁ」 「そう考えると、テレビのdpiって低いですよね」 「でもそんなに気にならないよね。テレビは離れてみるからかな?」

言語再考

『言語設計者たちの考えること』を読んだ。本書は、下記プログラミング言語の設計者へのインタビュー集。括弧 () 内がインタビュイーとなった設計者。 C++(ビャーネ・ストラウストラップ) Python(グイド・ヴァンロッサム) APL(アディン・D・フォークオフ) Forth(チャールズ・H・ムーア) BASIC(トーマス・E・カーツ) AWK(アルフレッド・エイホ、ピーター・ワインバーガー、ブライアン・カーニハン) Lua(ルイス・エンリケ・デ・フィゲイレード、ロベルト・イエルサリムスキー) Haskell(サイモン・ペイトン・ジョーンズ、ポール・ヒューダック、フィリップ・ワドラー、ジョン・ヒューズ) ML(ロビン・ミルナー) SQL(ドン・チェンバレン) Objective-C(ブラッド・コックス、トム・ラブ) Java(ジェームズ・ゴスリン) C#(アンダース・ヘルスバーグ) UML(イヴァー・ヤコブソン、ジェームズ・ランボー、グラディ・ブーチ) Perl(ラリー・ウォール) PostScript(チャールズ・ゲシキ、ジョン・ワーノック) Eiffel(バートランド・メイヤー) Ruby(まつもとゆきひろ) 多少なりとも馴染みがあったり、関心があったりした章を拾い読みした。読んだのは、18章のうち、14章。具体的には、C++, Python, BASIC, AWK, Haskell, ML, SQL, Objective-C, Java, C#, UML, Perl, Eiffel, Ruby。 多くの言語設計者たちが、機能を増やさないことに腐心していたことがよく分かる。それが如実に表れているのが、「2章 Python」。関連して、「6章 AWK」でブライアンは、 小さな言語が抱えている最大の問題は、それがどんどん成長していくという点にあります。 と言っている。これは、 『人月の神話』 「第5章 セカンドシステム症候群」が指摘している問題にも似ている。 やり過ぎたと設計者の一人が言っているのが、「第14章 UML」。UMLは詳細が膨大な割に、そこまで書いても実装に落とせない。だから、UMLからコード生成なんて酷いアイディアだと言っている。でも、一方でもう一人の設計者は「2種類の言語を使う根本的な必要性はありません

素直な氏直

「『境界線上のホライゾンVI〈中〉』を読んだよ」 「こんなこと言っていた割に、ちゃっかり読んだんですね」 『境界線上のホライゾン VI中』を購入。週末までに読めるかなぁ。 posted at 23:35:25 「こんな分厚いのにテンポよく読める。かと言って、スカスカなんかじゃなくてむしろ超高密度。これが継続的に出てくるんだから、たまらんよなー」 「相変わらずの本好きっぷりですね。で、この巻はどうでした? 〈中〉ということは、クライマックスは次に持ち越しですよね」 「いやいや、盛り上がってきたよ。俺としては、北条氏直が片鱗を見せ始めてくれたのが嬉しい」 「 『V〈上〉』 のときからずっと言ってますね。で、何の片鱗が見え始めたんですか?」 「それは、読んでみてのお楽しみってことで」

遺伝子の紫電

「『Gene Mapper -full build-』を読んだよ」 「 『Gene Mapper -core-』 の改稿版ですね」 「うん。元はKindleで個人出版された中篇だったのだけれど、人気が出て長篇として出版という運びになったらしいよ」 「どうでしたか?」 「この辺りの作品を思い出したよ」 小説 『天冥の標 V ――羊と猿と百掬の銀河』 小説 『ねじまき少女』 伝記 『地球最後の日のための種子』 「食糧を扱った作品ですね」 「Yes. どれも、設計された遺伝子を持つ作物を巡る物語」 「この作品もタイトルがそれを現していますね」 「そういう重いテーマもあるけれど、〈複合感覚行動 (フィジカル・ミクスト・アクティビティ)〉という外連味のある設定もあって、娯楽要素もあって読みやすかったよ」 「〈複合感覚行動〉ってどんな設定?」 「拡張現実の〈アバター〉と違う行動を現実の肉体に取らせる技能のこと」 「小説ならでは、ですね」 「うん。拡張現実の中からでは、動きは何も見えないからね。逆に現実世界では、棒立ちしている相手を一方的に倒すことになっちゃう」 「映えませんね」 「達人同士の戦いだと、映画 『シャドウゲーム』 みたいになるのかな」

解散離散四散発散

「『デザインあ 解散!』を読んだよ」 「何でも分解するコーナーですね」 「うん、それ。さらっと読めるというか眺められるけれど、裏で行われていたであろう作業量を思うと、気が遠くなるね」 「ただ分解するだけじゃなくて、整列させていますもんね」 「はっさくの解散! には執念あるいは言ってしまえば狂気さえ感じる」 「一粒一粒バラバラにして並べたんですよね」 「零崎人識だね」 「殺してはいないですけど、『解して並べて揃えて晒』されているところは共通していますね」

Bat de Noël

『Batman: Noël』を読んだ。 本作は『クリスマス・キャロル』を下敷きにしているらしい。『クリスマス・キャロル』について知っているのはタイトルだけなので、コメンタリィで知らされるまでスクルージが誰のことか分かっていなかった。そう言えば、Noëlはフランス語でクリスマスを意味している。 アメコミは読み慣れないから、日本の漫画との文法の違いに戸惑う。コマや吹き出しの追い方一つ取っても、間違えることがしばしば。気をつけて読まないと、セリフを飛ばしてしまう。でも、そんなに長くないこともあり、そんなに疲れることなく読み終えることができた。 二人目の精霊とのやり取りが、クリティカルだと思う。力がない自分たちはどうしたらいいのかなぁ、と。

マジImaginary

「『幻獣標本箱』を読んだよ。架空の動物のミイラの写真集」 「また変わった本を」 「よくこんな本作ったよね。その情熱に頭が下がる思い」 「人魚や河童の標本は、祀られていたりしますよね」 「逆にカモノハシは模造品と思われたらしいね」 「生命の神秘ですねー」 「解説が淡々としているのが、学術書っぽくて全体的に不思議な雰囲気。人によっては退屈かも、というレベルで淡々としているのが思い切りが良くて好感度上がる」

LAuth

LL Cool Jの"Authentic"を聴いている。 全体的にはHip Hop, Hip hopしてない。Rage Against the MachineのTom MorelloやEdward Van Halen、Earth、Wind & Fireが参加しているロック色の濃い曲やら、バラード色の濃い曲やら、バラエティ豊か。一方で、Hip Hop畑からもSnoop DogやらPublic Enemyも参加していたり。 それでも、アルバムとそんなにとっ散らかった感じがしないのが不思議。良くも悪くも例外的なのが、2曲目"Not Leaving You Tonight"。そこで聴けるEdward Van Halenのギターソロが、印象に残る。

誰のタレント?

「『暗殺教室5』を読んだよ」 「この巻も表紙かわいいですね」 「うん。キョトンとしてるね。あんな速いんだから、驚くことなんか滅多になさそうだけれど」 「そうですね。でも作中だと抜けていますよね。うっかり溶けかかったり」 「そこが憎めないところだよなぁ。殺さないといけないのに。あ、そう言えば、この巻は殺せんせーの恐い一面は全然見えなかったな」 「嵐の前の静けさでしょうか」 「あ、それから自律思考固定砲台の律ちゃんも全然見かけなかったや」 「動けませんからね。体育の時間なんかは教室で待っているんでしょうか?」 「代わりと言っちゃあなんだけれど、これまで主人公らしいところが全くなかった渚についにスポットが!!」 「死亡フラグ?」

さまよえる銀の弾丸

『人月の神話』を読んだ。読んだのは右の画像の新組新装版ではなくて、新装版 (原著発行20周年記念増訂版)。ただし、この2つの間に内容の違いはない (誤植の訂正は除く)。 縦組から横組みに変え、また装丁を新たにして刊行するものです。誤植の訂正を除き本文の内容に変更はありません。 人月の神話 - 和書 - ピアソンは教育ソリューションを通じて世界に貢献しています。 全部は読まなかった。読んだのは、序文と16章以降。各章のタイトルは次の通り。 二十周年記念増訂版序文 第16章 銀の弾などない――本質と偶有 第17章 「銀の弾などない」再発射 第18章 「人月の神話」の命題――真か偽か 第19章 「人月の神話」から二十年を経て エピローグ 五十年間の不思議、興奮、それに喜び これだけ読めば概略を把握できるはず。第16章が1987年のIFIPで発表された論文の再録 (翌年IEEEに再録)で第17章は原著への批評に対するコメント、第18章に第1章から第15章まで (1975年に発刊された原著の内容)から抜き出した命題の一覧が並んでいる。最後の19章は書き下ろし。 第18章に列挙されている命題の中には、著者自身が既に考えを変えているものもある。本章でも補足されているし、第17章に考えを変えた経緯について詳しく書かれている。 自分が面白いと思ったのは、第18章の命題15.9と第16章の「自動」プログラミング。 まず命題15.9。フローチャートで詳細に記述するな、という話。 15.9 フローチャートは、プログラム文書の作成のうちでまったく過大評価されてきたものの一つだ。詳細で逐一記述したフローチャートは厄介物であり、高水準言語での記述によって時代遅れとなった(フローチャートは図式化された高水準言語だ)。 フローチャートもそうだし、UMLもそうだと思う。 『UML モデリングのエッセンス』 でマーチン・ファウラーが言っているとおり、あくまでスケッチとして使うのがリーズナブルだと思う。本書の著者もこの後の15.10, 15.11で同様の趣旨のことを述べている。 続いて、「自動」プログラミングは自動じゃないよね、という話。 パルナスは、この用語が外見で魅了することに利用されていて、意味(セマンティック)のある内容として使用されていないと次のように主張している。

水曜日の象

「『オツベルと象』を読んだよ」 「宮沢賢治ですね」 「キッカケはこのツイート」 ちなみに『オツベルと象』自体は、青空文庫などで無料で読めますので小学校で習わなかったという人は『オツベルと笑う水曜日』を読む前や後に是非。 http://bit.ly/1ahJYrY Twitter / ryohgo_narita 「小学校で習わなかったので初めて読んだのだけれど、ラストが印象的だった。象の笑いと牛飼いの台詞はどういう意味だったんだろうなぁ」 「調べてみると、いくつか解釈があるようですね」 「うん。自分は最初に思い浮かんだけれど何か違う気がすると感じた解釈や、その解釈を否定した上での自分が考えなかった解釈や、色々見つかって面白い」 「ともあれ、次は 『オツベルと笑う水曜日』 ですか?」 「本棚の都合でKindle化されたら読もうと思っているのだけれど」 「けれど?」 「いつされるのかな? 同じメディアワークス文庫で今年2月に発売された 『ビブリア古書堂の事件手帖4』 がまだKindle化されていないんだよね」 「しばらく待つことになりそうですね」