スキップしてメイン コンテンツに移動

The Library and The King of Controversy

刑務所図書館の人びと―ハーバードを出て司書になった男の日記
「『刑務所図書館の人びと』を読んだよ」

「刑務所に図書館なんてあるんですね」

「うん。図書館と言うより図書室と言った方が実態に沿っているみたいだけれど」

「Wikipediaで調べてみると、日本の刑務所にもあるみたいですね」
すべての行刑施設に官本が整備されている。
刑務所図書館 - Wikipedia
「本書の舞台であるアメリカについても書いてあるね。こっちの方が充実しているみたい。いいな」
米国ではPFI事業により、民間業者が運営している例が多い。そこでは最先端設備によるフィットネス設備に、ラウンジまである。図書館も公共図書館並みに整備されている。
刑務所図書館 - Wikipedia
「使うことになる予定でもあるんですか……」

「もちろん、ないよ。冗談はさておき、本書についての話に戻そう」

「はいはい」

「本書は刑務所図書館に勤めていた人のエッセイ。訳者あとがきには『いわれてみれば確かにありそうだけれど、いわれるまでは考えたこともなかった……』とあるけれど、今思えば映画『ショーシャンクの空に』に出てきたよね」

「出てきてました。重要な場所でした」

「刑務所図書館には色々な情報が集まるだからだろうね。本書でも、本に挟まれる手紙が印象的な役割を果たしている。そこでは、カイト〈凧〉と呼ぶらしい」

「ボトルレターみたいなものですか」

「そういう宛先不明のものもあれば、宛先があるものもある。もちろん禁止されているから、見つかったら回収される」

「それが紹介されているわけですね」

「うん。それらと直接の遣り取りとから浮かび上がってくる、色々な人の生き様が本書の読みどころだと思う。でも、カイトに関しては手紙の盗み見だから、何だか罪悪感が」

「でも面白かったってツイートしてましたよね」
『刑務所図書館の人びと』を読み終えた。面白かったけれど、覗き見をしているようで、罪悪感も。
posted at 10:02:24
「うん、盗み見を楽しんでいることから、さらに罪悪感を覚えるという二重の罠」

「考え過ぎじゃないですか」

「そうかもね。そう言えば、本書の地の文にはそのあたりの葛藤はあまり描かれていなかった。むしろ、そこに権力があることに気がついていたと思う」

「一種の情報統制だから、権力になるでしょう」

「同時にストレスも生半じゃななかったみたいで、結局この仕事を辞めてしまっている。そのあたりの、すっきりしなさ具合がリアルと言えばリアルなんだけれど」

「けれど?」

「Eminemのことを思い出すんよ、白人だけれどギャングスタラップで成功した。で、こちらの方がよほどハードだよなぁ、なんて意味のない比較をしてしまって。『8 Mile』また観たくなってきたなぁ」

「自伝的な映画ですね。最後、格好良いです。って、本の感想のはずがまた映画の話に」

「開き直って映画の話しようぜ」

「それはまた今度」

このブログの人気の投稿

北へ - ゴールデンカムイ 16

『ゴールデンカムイ 15』、『〃 16』を読んだ。16巻を読み始めてから、15巻を買ったものの読んでいなかったことに気がつく。Kindle版の予約注文ではままあること。 15巻は「スチェンカ・ナ・スチェンク」、「バーニャ(ロシア式蒸し風呂)」と男臭いことこのうえなし。軽くWebで調べてみたところ、スチェンカ・ナ・スチェンク (Стенка на стенку) はロシアの祭事マースレニツァで行われる行事のようだ[1]。それなりになじみ深いものらしく、この行事をタイトルに据えたフォークメタルStenka Na StenkuのMVが見つかった。 16巻では杉元一行は巡業中のサーカスに参加することになる。杉元と鯉登の維持の張り合いが、見ていて微笑ましい。鯉登は目的を見失っているようだが、杉元もスチェンカで我を失っていたので、どっこいどっこいか。なお、サーカス/大道芸を通じた日露のつながりは、実際にもこのような形だったようだ[2]。 個々のエピソードから視線を上げて、全体の構図を眺めてみると、各勢力がすっかり入り乱れている。アシㇼパは尾形、キロランケ、白石とともにアチャの足跡を辿り、そのあとを鶴見のもとで家永の治療を受けた杉元が鯉登、月島を追っている。今更だけれど、杉元やアシㇼパは、第七師団と完全に利害が衝突していると考えていないはずだった。一方で、土方一味も入墨人皮を継続。むしろ彼らの方が第七師団との対立が深刻だろう。さらに北上するキロランケはまた別の目的で動いているようだけれど、なんで尾形も一緒なんだっけ? 『進撃の巨人』に引き続き、これもそろそろ読み返す時期か。 [1] 5つの暴力的な伝統:スラヴ戦士のようにマースレニツァを祝おう - ロシア・ビヨンド [2] ボリショイサーカスの源流は、ロシアに渡った幕末日本の大道芸人たちにあった 脈々と息づく「クールジャパン」 | ハフポスト

戦う泡沫 - 終末なにしてますか? もう一度だけ、会えますか? #06, #07

『終末なにしてますか? もう一度だけ、会えますか?』の#06, #07を読んだ。 『終末なにしてますか? もう一度だけ、会えますか?』の#06と#07を読んだ。#06でフェオドールの物語がひとまずは決着して、#07から第二部開始といったところ。 これまでの彼の戦いが通過点のように見えてしまったのがちょっと悲しい。もしも#07がシリーズ3作目の#01になっていたら、もう少し違って見えたかもしれない。物語の外にある枠組みが与える影響は、決して小さくない。 一方で純粋に物語に抱く感情なんてあるんだろうか? とも思う。浮かび上がる感情には周辺情報が引き起こす雑念が内包されていて、やがて損なわれてしまうことになっているのかもしれない。黄金妖精 (レプラカーン) の人格が前世のそれに侵食されていくように。

リアル・シリアル・ソシアル - アイム・ノット・シリアルキラー

『アイム・ノット・シリアルキラー』(原題 "I Am Not a Serial Killer")を見た。 いい意味で期待を裏切ってくれて、悪くなかった。最初はちょっと反応に困るったけれど、それも含めて嫌いじゃない。傑作・良作の類いではないだろうけれど、主人公ジョンに味がある。 この期待の裏切り方に腹を立てる人もいるだろう。でも、万人受けするつもりがない作品が出てくるのって、豊かでいいよね(受け付けないときは本当に受け付けないけれど)。何が出てくるかわからない楽しみがある。